【性教育】”性のハナシ”を楽しく、ポジティブに捉えられる社会に。

課外活動

今回の先輩大図鑑は、性に関する知識を広める活動をしている、大学2年生のあみさん。

あみさんは、中学・高校時代の性教育に疑問を抱き、現在はNPO法人でインターン生として活動しています。

「今の性教育のような危険性ばかりにフォーカスして性をタブー視する社会ではなく、もっとポジティブに捉えて、楽しもうという考えを広めたい。性に抵抗がある人たちが、それを前向きに捉えられる社会を作りたい─。」

性教育だけでなく、LGBTQ、性別役割分担についても、熱く語っていただきました!

※性体験への感じ方は人それぞれですので、個人の気分に合わせて読んでください。

タブー視される性教育に疑問

「性教育」って、恥ずかしいものなの?

あみちゃんは、Instagramやtwitterで性教育について情報発信をしているよね。今はどんな活動をしているの?

NPO法人ピルコンで、フェロー(学生ボランティア)をやっていて、最近広報インターン生として活動を始めたよ。性教育に関する情報を発信して、“性にまつわる話=タブー”というイメージを変えていこう、というのが私たちの活動の目的なんだ。正確な性の知識を伝えていくことで、人生の選択肢を広げ、より豊かな人生を送ることにつながると信じているよ。高3の終わりごろから性教育を行っている団体を調べ始めたんだけど、ピルコンの「自分をデザインするために性を学ぼう」というキャッチフレーズに心を打たれたの。

将来設計のための性教育の必要

ーどんな性教育が必要だと思う?

学校で扱う性教育って、「避妊・中絶」といったテーマが中心になりがちなんだよね。「若者が妊娠することはよくない」ということばかりにフォーカスしてる。だから「妊娠することが難しい」ということを意外とみんな知らないんだ。現代では、約6人に1人が不妊で悩んでるのに。

将来設計をする上で、妊娠したい、子どもがほしい、と思ったらどうしたらいいのかっていうのは知っておくべきだと思う。将来設計のための性教育も大切だと思うな。

 

ーなぜ性教育に興味を持ち始めたの?

いろんな体験が関係しているんだけど、一番大きなきっかけは中学生のときに受けた性教育の授業だと思う。ある日、保健体育の授業で、男子生徒も女子生徒も一緒に大教室に集められたのね。先生が男子生徒に向かって「この映像を見て笑ったやつ許さないからな」って、脅すみたいに言ったの。「性に関するビデオを見るらしい」っていうのは、他のクラスの友達から聞いてたんだけど、ビデオをみた後も、どうやって子供が生まれるのか、全くわからなかった。でも、みんながざわついているのを見て「これはタブーなことなのかな?恥ずかしいことなのかな?」って思った。

今思えば、自分の体の構造がよく分かっていなかったから、ビデオの内容が全然理解できなかった。それ以来ずっともやもやした感情があった。これが原点だったと思う。

性教育というと、「性行為」にフォーカスしてるじゃない?でも本当は 性ってすごく幅広くて、LGBTQのことや、ボディーイメージについても性に関係してる。

▲商業的性的搾取や性暴力について考えたタイでのスタディーツアー。写真はチェンマイ大学女性学センターでの講義の様子。

ボディーイメージへの強いコンプレックス

小学4年生からカロリー表示を気にするように

ー「ボディーイメージ」って、例えばどんなもの?

自分の体に対してどのように感じているのか、どのように見ているかといった、「自分が自分自身の体に対して持つイメージ」のこと。

私の場合、小さいころからずっと見た目を気にしてたんだよね。細くなきゃいけないってずっと思ってた。今と違って、ダイエットに関する広告を目にすることはほとんどなかったんだけど、その代わり友達の発する言葉をすごく気にしてた。誰かが「お前太ってる」と言われているのを見ると、自分が言われたような気持ちになって…。

他人が誰かの外見に対して何か言うことに抵抗があった。私はそういうことに対して、子どものときから相当敏感だったんだよね。自分に言われていなくても、胸が痛んだ。

今は好きなものをたくさん食べるし、体型もあまり気にしなくなってきたけど、小学4年生の頃から常にカロリー表示をチェックしてたな。例えばアイスを選ぶときは、シャーベット系のアイスだけ。クリーム系のアイスは滅多に食べなかった。だから小学生の頃はかなり痩せていたね…。

こういう考え方はどんどんエスカレートして、高校のときが一番酷かったな。とくに脚を気にしてた。気にし始めたのは、中学生になって運動量も食べる量も増えて、自分の脚が太くなってきてから。友達が階段を登っているときとか、友達の足を見ることが癖になって、高校生になる頃には、人の顔よりも先に足を見ちゃうくらい気にしてた。世間的にも、「足が太い女はダメだ」っていうイメージが強くなっていたし、そういう広告が目につくようになって、どんどん悪化したんだと思う。体型が細い友達を見たときに強い劣等感を感じることもあった。世間的に「魅力がある」とされていることに囚われていて、つらかったな。

 

ー小学4年生からカロリー表示を気にしていたなんて…。性に対する意識はその頃に芽生えたの?

さくらももこさんの「ひとりずもう」という本があって、さくらさんの思春期を描く中で、 性に対する葛藤が取り上げられていたんだけど、私はそれを小学2年生のときに読んだんだ。さくらさんは本の中で、自分の体の変化、特に胸が大きくなることが気持ち悪かったと書いていた。私も同じで、胸がだんだんと大きくなっていくことがすごく嫌で、ブラジャーをつけるのも気持ち悪くて、よくうつ伏せで寝てたな…。自分の体、性にまつわることに元々敏感だったのかもしれない。

▲小学2年生のときに読んだ、さくらももこさんの「ひとりずもう」

高校でも満足のいく性教育は受けられず

ー自主的に「性について学ぼう」と思ったのはいつごろだったの?

高校は女子校に進学したんだけど、女子校では丁寧な性教育を受けられるってどこかで聞いて、結構期待してたんだ。中学校のときの性教育に対するもやもやを解消したかったし、元々体について知ることに興味があったの。でも、高校での性教育もなんだか曖昧で、リアリティがなくて、ピルとか聞いても具体的には分からなかった。自分事として考えられていなかったから、情報が頭に残らなかった。

「学校では満足する性教育を受けられない。性について自分でもっと学んでみたい、もっと知りたい」ってここで自覚したよ。

誰かのためじゃない。「異性」と「美」の関係

高校生のとき、クラスメイトが電車で痴漢にあったんだけど、それを教室で「本当に嫌だ〜」って話しているのを聞いて、その時の私には、その子が本気で嫌がっているようには見えなかったの。彼女を見て、私は「あ、女として見られて喜んでいるんだ」って、なんとなく思ってしまった。

でも、そういう風に少しでも思ってしまう自分が嫌だった。「男性が女性に勝手に触った=女性として見られている」と思ってしまう自分は、そういう考えの世の中に生きているんだと自覚した。この考えは女性側にも侵食しているんだよね。痴漢は性暴力なのに。肌を露出しているからといってすぐに「性的に見られたいんだ」という考えに結びつけのは間違っていると思う。なんでもかんでも「異性の目」を中心に考えるのはやめにしてほしいな…。

短いスカートを履いているのは、自分の足が気に入っているからなのかもしれないし、メイクや脱毛だって同じこと。パートナーに言われて脱毛する人もいるかもしれないけど、みんながみんなそうじゃない。自分のためにしている人ももちろんいるわけで。「異性」と「美」をすぐに結びつけないでほしい!

ダイエットや脱毛の広告は「パートナーのため」っていうのが前提になってるものばかり。こういうことに縛れられる社会は息苦しいと思う。

「性」に対する意識の変化

ボディーイメージの変化

▲ピルコンメンバー交流会の様子

ーいろいろな疑問が重なって、今の活動にたどり着いたんだね。具体的にどんな活動をしているの?

まず、自分のボディーイメージが変わった。

「ピルコンルーム」というオンラインイベントで、ボディーイメージについて学んで意見を交換し合う会があるんだけど、そのおかげで自分の体をポジティブに捉えることができるようになったよ。それが次第に自分に染み付いてきた。このイベントを通して、プラスサイズモデルなど、ありのままの自分の体をポジティブに捉えている人たちの存在を知った。

周りの人がどう言おうと、自分の体を大切に思って、「私は私の体が好き」と思える心はとてもすてきだなと思う!今でも自分の脚に対するコンプレックスはあるけど、そういう考え方があると知っただけでポジティブになれたな。

“性”に対してポジティブになれた

私はピルコンに入って性について学ぶまで、性に対して全く主体性がなかったのね。基本的に相手の感情に任せるっていう感じだった。「女の人は男の人にされるもの」というイメージがあったから。

ピルコンに入ってから、パートナーときちんと向き合って、言葉でコミュニケーションをとりながら関係を構築していく考え方を知ったの。今までどこか他人事のようだったけど、自分のこととして主体的に捉えられるようになった。だからこそ、相手のことをもっと知りたい、心も体を幸せに繋がりたいと思えるようになった。パートナーシップにおける”性”をポジティブに捉えられるようになったんだ。

▲「ここで、自分になる」をコンセプトに開催される性の文化祭「セクガク2020」での写真。会場では様々な性にまつわるグッズの展示やトークイベントなどが行われる。

男女が歩み寄り、「個」として尊重する社会へ

LGBTQとの出会い、揺らぐ思い

それから、LGBTQに関しては、彼らの考えを知ったことで、自分の中で迷いが生まれたんだ。私は多様性を認めたいし、彼らについてもっと知りたいと思ってる。身近にLGBTQの友達はいなかったんだけど、ピルコンに入って性について学ぶうちに、色々な「性」を持つ人たちの存在を知ったの。

ある人は、季節や時間帯によって「男の子の気分」だったり「女の子の気分」だったりするんだって。生物学的には男の子だけど、ブラジャーや可愛いピン留めを付けたい気分のときもある。

その人と知り合ってから、「性はグラデーション」という言葉の意味がわかった。性に対する認識は人によって様々だから、カテゴライズできるものではないと気づいたんだ。「結局あなたはバイセクシャルなの?」と聞きたかったけど、聞かなくていいことだと気づいた。頭では分かっていたけど、やっぱり知らないうちに「男女」というカテゴリーに分類しようとしてた…。今までずっと、「男女」の社会で生きてきたからね。みんな何かしらカテゴライズしたがるけど、”性”に関してはカテゴライズしなくていいこともあると思う。

でも一方で、迷いも生まれたの。フェミニズムやLGBTQのことを知るにつれて、今まで自分が使っていたいろんな言葉に対して罪悪感を感じるようになった。

例えば、女子力、モテる、女らしさ、男らしさ、といった言葉。フェミニズムのコミュニティで活動している人の中には、こういった言葉が全て差別的だっていう人もいるのね。「『モテる』なんて、異性を意識した言葉だからダメ!」「『女らしさ』ってなんですか!」ってね。性について学ぶ人の中には、かなり強い思想を持った人もいるけれど、「女性『が』」とか、「女性を社会に」とか、女性ばかりが苦労している…という主張は個人的には違うなと思っていて。男性は男性であるが故の苦労があるはずだし、今までの社会の全てを否定するような言い方をされて、揺れ動く場面が多くなった。

私は、女性が仕事をしないで家事に専念することは全然ありだと思っているから、「女が家事をやって男が仕事をするというような性別役割分担はダメ!」と既存のあり方を全て否定するのは、ちょっと過激だし、個人的にはしっくりこなくて。これからは、性的役割分担を肯定、否定するという視点ではなくて、家族や夫婦の在り方を考えるときに「個としてみる」のが大事になってくると思うな。

敵を作ってしまうフェミニズム運動

ーどうして過激な思想の人を持った人が増えているのかなあ。

思想が強い人の方が、主張が明確だからついて行きやすいし、結果的に押し上げられるんだと思う。両者の考えを吸収しつつ、折衷案を出す人がアクティビストになる例は少ないんだよね。過激派の意見が通ったとしても、そのあり方が実際に社会にフィットするのかはまた別の話じゃない?

フェミニズムの活動をしている人たちの中には、たくさんの敵をつくりながら活動している人がいて、その人たちに対する反論に対して、さらに過激な言葉で反論している。それに反応して、「女として見られてないから拗ねてるだけだ」とか、論点とずれた意見も出てきていて。どんどん悪い方向へ進んでる。

もともと、男女では体の構造が違うし、性別的な特徴が違う時点で、なんでもかんでも平等、同じにするのには限界がある。男女が歩み寄る姿勢、個として尊重する姿勢がまだまだ足りないと思う。

過激な主張が新たな批判を生んでいる。だから、今ある状況を改善しつつ、新しい考えを少しずつ取り入れていくのが大切だと思ってるよ。でもこういう考え方を言うと、「あまちゃん」だって言われるの(笑)この問題に挑むなら、10年、もしかしたら100年かけないと解決しないのかも。

 

ーあみちゃんは今後、どのように活動を広げていこうと思ってるの?

性教育といってもすごく幅広い。ピルコンでの活動を通して、私は「性を楽しむ」ことにフォーカスするのか好きだと気づいたの。今の性教育のような危険性ばかりにフォーカスして性をタブー視する社会ではなく、もっとポジティブに捉えて、楽しもうという考えを広めたい。性に抵抗がある人たちが、それを前向きに捉えられる社会を作りたい。性行為に及ぶ前に、性に対する考え方を知っておくことで、自分が本当にしたいと思った相手に出会ったときに、パートナーとポジティブなコミュニケーションをとっていけると思う。そして何より、自分を大切にするために、性についてより多くの人に知って欲しいと強く思っているよ。

生理をより快適に過ごすためのアイテムである吸水ショーツNagi。あみさんは性について学ぶうちに、「性」をポジティブに捉えられるアイテムにも関心を持つようになったそう

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性教育の重要性は、「性について話す」こと自体がタブー視されているためあまり注目されてこなかったように感じます。そこで、性教育の内容そのものを変えるだけでなく、「性に対するイメージ」そのものをポジティブなものに変えるというあみさんの考えは、私にとってとても斬新なものでした。性に対してもっとポジティブなイメージを、「性を楽しむ」という視点を、より多くの人が持つようになれば、性に関する世の中の様々な問題も少しずつ解決していけるのではないでしょうか。様々な「性」を持つ人々が違いに歩み寄り、お互いを尊重しあえる社会を、あみさんと共に創っていきたいと強く感じました。

コメント

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