諦めるのではなく、新しい夢を追いかける
コロナの影響で帰国
─オズは、世界一周の旅に出て、コロナで中断しなくてはならなかったんだよね。でも、帰国したと思ったら今度はバンで日本一周してて驚いた!どういう経緯でバンライフをすることになったの?
バンライフは、実は一緒にバンで日本一周した友人2人が思いついたんだ。そのとき俺はエジプトにいて、2人は計画していたオーストラリアでのワーキングホリデーが中止になってしまった。その2人が誘ってくれたんだけど、んー、経緯はどこから話したらいいかな(笑)
ダイバーの聖地、エジプトのダハブで「沈没」
─じゃあ、時系列で!世界一周の旅の1カ国目がエジプトだったの?
そう。2020年3月11日に日本を出発して、そのころには日本はコロナの感染者数がものすごく増えていた。世界的にもコロナが深刻になり始めていたんだけど、アフリカ大陸ではまだ数人しか感染者がいなかったんだよね。それで、先にアフリカに行くことにした。数ヶ月で収まるだろうと思ってたからね。一週間くらいはカイロの方を旅して、その後スキューバダイビングのライセンスを取りにダハブという町に移動したんだけど、そこでロックダウンになった。たったの一週間で、エジプトでもコロナの感染者数が激増したんだ。もう町ごと隔離、というか、町から出られない状況になっちゃって。こうなったらもうどうせ世界一周はできないけど、帰国したとしても休学してるから日本でやることもないし、暇だなあと思ってたんだよね。そこで、「沈没」したの(笑)
─「沈没」って、どういうこと!?
これは旅人用語なんだけど、「居心地が良すぎて、旅を中断してその土地に止まってしまう」こと。これがダハブで起こったんだ。コロナで動けない状況だったから、ある意味めちゃめちゃラッキーだった!(笑)ダハブでは、毎日のようにダイビングをしてゆっくり過ごしたよ。ダイビングのインストラクターや、ダハブで日本食堂を運営していた日本人が、居候していいよって言ってくれて。親の了承も得て、「ここに住む」って決めてたんだ。
そんなとき、友人2人が「日本一周しない?」って声をかけてきて。「すっげー面白そう!」って思ったんだ。それでやっぱり日本に帰国することを決めた。そうしたら、ちょうど日本大使館から帰国できるという連絡が来て、その一週間後に帰国したよ。
バン暮らし、日本一周
─そこでパッと切り替えられるなんて、決断力がすごいなあ。どう準備を進めたの?
せっかくやるなら、社会的な意義を求めてやってみても面白いんじゃない?って話になって。そのためにはどんなことをしたらいいんだろう、ってみんなで考えた。インタビューやその土地の観光PR動画を作りながら旅をして、コロナの打撃を受けた観光業界の現状を伝えることにしたよ。他にも、震災とかいろいろな日本の社会問題を取り上げて、人々に日本を知るきっかけを与えたいと思ったんだ。
5月〜7月の3ヶ月間は、企画書を作成した。社会問題をテーマにするので、「企業も絡めたら面白いよね!」って話になって、約160社に企画書を送った。それを読んで面白いなと思った企業からメールが来るんだけど、10社に1社返信が来れば良い方。結果、14社がスポンサーについてくれて、120~130万円集まった。
─すごいなあ!どんな企業に依頼したの?
基本はキャンプ業界かな。コロナが流行してから、キャンプ業界がものすごく伸びたんだ。俺らが実際にキャンプしながらPR活動をすることにした。あとは、リモートワークの機材を扱っている企業とか。リモートワークしながら旅をしていたからね。
─仕事しながら旅してたのかあ…!どんな仕事してたの?
友人2人は、YouTubeの編集。マーケターYouTuberの編集と、プロゲーマーの編集を依頼されてた。俺は、camp zineって言うウェブマガジンの会社に依頼されて、記事を書いてたよ。
─資金を集めたあとは?
8月に、知り合いの車屋さんからバンをもらって、8~9月はずーっとバンの改造をしてた!車の改造方法はYouTubeに上がっている動画を参考にしたよ。
▲バンライフ仕様に改造したバン内部の様子。
─バンライフの中で、一番楽しかったことは?
今までいろんな国を旅してきたけど、英語はそこまで喋れないから、現地の人と深い話をしたことがなかったんだよね。でも、バンライフを通していろんなジャンルの人に会って、その全員と深い話ができたことかな。
─逆に、しんどかったことはある?
バンライフっていう旅のスタイルが、俺にはまったく合わなかった!(笑)今までは海外に行って、自分の足でめちゃめちゃ歩いてたし、Wi-Fiもない環境の中、英語はおろか現地の言葉なんか全く喋れない状況で、なんとかコミュニケーションをとって頑張って目的地にたどり着くっていうのが、俺の旅のスタイルだったんだ。でも、バンライフでは、車でビューンって目的地に行けちゃうから、達成感がなかったんだよね。俺は旅の過程を大事にしてるんだなってそのときに気づいたよ。
小学2年生で抱いた、世界一周の夢
─初めて世界一周をしようと思ったのはいつだったの?
最初は小学校2年生のとき。俺は全く本を読まない子だったんだけど、親に買ってもらった国旗の本、この本だけは夢中で読んだ。本の中のアンコールワットの写真に一目惚れしたんだ。「海外行ったらこんな建物見れるのか〜!だったらもっと、世界いっぱい行ってみたい〜!」って思ったのがきっかけだなあ。
あとは、中学生のとき。世界の果てまでイッテQ!(日本テレビ系)の「出川イングリッシュ」を見て、「あいつでもこんだけいけるんだったら俺楽勝だな、早く行ってみたい!」と思った。全く英語話せなかったけどね。
高校生のとき、修学旅行でグアムに行ったんだけど、俺にとってはそれが初めての海外だったから、すっごいワクワクしていたのよ、もう。でもグアムって日本語がありふれてるし、そもそも友達と集団で動くから英語を使うことは全くなく、海外にきた感覚が全然なかった。それでずっともやもやしてた。そのまま最終日が来て、自由行動ができる最後の3時間を迎えたんだけど、「ここで動かないと俺海外にきた意味ない!」って焦った。本当は友達6人とショッピングモールに行く予定だったんだけど、「トイレに行ってくるから、5分経ってもこなかったら先に行ってて!」って言い残して、わざと逸れたんだ(笑)
それからは、そこらへんに座ってる人たちにどんどん話しかけた。いろんな人と話して、海外が楽しいと感じた。大学生になったら絶対海外に行きまくろう!と決めたよ。
─じゃあ、小中高ではほとんど海外に行ったことがなかったんだね。
そう。実は俺、高校生まではサッカーしかやってこなかったし、なんの取り柄もなかったんだ。でも、「海外に行きたい」っていう夢は、小学生のときからずっと持ってた。
海外に行き始めてから、発信することの大切さを知ったんだ。初めはSNSも使っていなかったし、自分の話をすることもなかった。でも、ある人に出会って、「オズがやってることってすごい面白いのに、何で発信しないの?」って言われて。発信し始めたらどんどん反応が増えて、新しい出会いも増えた。
大学2年生の3月には30か国くらい行き終わったな。でもそのとき、「このまま普通に海外に行き続けても面白くないから、海外に行くことを止めよう」と思ったんだ。それでしばらく海外から頭が離れてたんだけど、ある日久しぶりに大勢の人と会ったときに、「オズが海外行ってるのめちゃめちゃ面白い」とか、「ストーリー見てると自分も海外行ってるような気分になる」とか、「海外ってハードル高かったけど、オズの影響受けて俺も行ってきた!」とか、いろんな人が言ってくれて。「ただ単に海外に行ってるだけじゃないんだなあ」と感じたよ。だったらもっとでっかいことして、いろんな人に少しでも影響与えられたらいいなと思った。そこで、昔からの夢だった世界一周を、休学してやることを決意したんだ。
─休学を決意してから、どうやって世界一周の準備を進めたの?
休学すると周りに言い始めたのは、大学3年の5月。そこからの半年間はずっと親とバチバチしてたよ。親には「自分のやりたいことは大学4年間で収めろ」と言われていたし、絶望的な状況だった。でも、誰にでも「俺、来年世界一周するわ」って言い続けて、自分にプレッシャーをかけてた。親にプレゼンもして、12月にやっと休学の許可をもらったんだ。
─すごいパワフルだね!何か生きる上で大事にしていることとか、モットーはあるの?
そうだな、大事にしているのは、憧れの人に会うときの状況やタイミングかな。例えば、俺が尊敬する会いたい人が西野亮廣だったとする。この場合、一番簡単に早く会える方法は、オンラインサロンに入ってミーティングとかイベントとかで会うことだよね。でも、俺はその手段は選ばない。例えば自分で会社を持って、すごい影響力を持って、西野亮廣と何かのイベントに登壇するとか、対等な関係で会えるように頑張る。というのは、オンラインサロンに入って会ったとしても、「オンラインサロンのメンバーの一人」としてしか見てもらえないんだよね。対等な関係で会った場合、第一印象も、そのあとの関係性も絶対に変わると思うんだ。
それと同じで、旅も過程が大事なんだとすごく感じる。同じ場所に行くとしても、そこまでの道のりが違うと、感じるものも違う。だから俺らは途中から山登りにすごいはまったんだ(笑)
─いつからそれが大事だと思い始めたの?
大学2年生のとき。憧れの人と会ったんだけど、全く覚えていてもらえなかったんだ。会っただけで、自分は何も変わらなかった。その人に会って話して、人生を変えたい!と思っていたのに、何も起こらなかった。だからその次に憧れの人と会ったときは、会うタイミングを大事にしてみようってふと思ったんだ。旅をしたりイベントを企画したり、頑張って対等な立場になってから会った。その人はカメラマンで、すごく尊敬していて自分とはかけ離れた存在だったけど、俺にすごく興味を持ってくれたんだ。
人生はノリと勢い…だけじゃない
─では最後に、学生のみなさんに一言メッセージをお願いします!
じゃあ、俺の座右の銘を二つ紹介するね!
「人生はノリと勢いと背中を押す一言」
大学3年までは、「人生ノリと勢い」で、何でも行動してた。3年生になってから、周りがみんな就活を始めたり、世界一周に出ようとしたときも親の反対を受けたりして、ただ単にノリと勢いだけではどうにもできないことが増えてきた。そんなときに、「オズは絶対海外行った方がいいよ」とか、周りからすっごいいろんな声をかけてもらった。そのみんなの「背中を押す一言」のおかげで、いろんな行動ができてるんだと思う。
人生ノリと勢いだけでは壁にぶつかるときがある。それ以来、周りにそういう人がいたら、背中を押す一言をかけているんだ。人生はノリと勢いだけじゃない。周りの支えがあって成り立つものなんだと思ってるよ。
「おもしろきこともなき世をおもしろく すみなすものは心なりけり」
これが高杉晋作の言葉で、俺は小学校の頃から歴史が大好きだったんだよね。簡単に言えば、「ものは考えよう」って意味。「あなたの心ひとつで世界は変わりますよ」ってこと。
例えば、何か大きな集まりがあるけど、緊張するから行きたいくないなあと思うとき、その感情のままで行くとやっぱり緊張して、自分のことを発信できなかったり、自分から声をかけられなかったりと、結局その出会いがマイナスなものになってしまう。ちょっと行きたくないところでも、「自分の可能性を広げられる場なのかもしれないな」とプラスな感情で行くようにしたんだ。プラスな感情でいると、いろんな人に声をかけたり、みんなの前に立って話してみようと思ったりして、その場が自分にとってすごくプラスなものになった。それからは、何事もプラスな感情で取り組むようにしてるよ。
筆者はインスタグラムでオズさんの活動を見ていましたが、世界一周の旅に出たかと思いきや、いつの間にか帰国してバンを改造していて、気がついたらもう日本一周して帰ってきて…というように、ものすごいスピードでいろいろなことに挑戦していて、その並外れた行動力にはいつも驚かされていました。
インタビューを通して分かったことは、オズさんは一度目標を立てたら、余計なことは考えずにゴールに向かってまっすぐに進んでいるということです。筆者は、何かに挑戦するとき、失敗のリスクを考えて立ち止まってしまうことがありますが、オズさんは目標に向かって淡々とタスクをこなしています。オズさんの生き方を見習って、筆者も自分の夢を達成しようと思います!!
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