【課外活動】アナウンサーという夢に向かって奮闘した4年間

就活

今回のインタビューは、津田塾大学国際関係学科4年の平百恵さん。

百恵さんは、「アナウンサーになりたい」という夢を追い、アナウンススクールが多くある東京の大学を選び、上京しました。様々な人との縁が彼女の夢への挑戦を後押しし、大学とアナウンサースクールとのダブルスクールをはじめることとなりました。

課題が多いと言われる大学とアナウンススクールとのダブルスクールをした経験を軸に、モチベーションを維持するための工夫や、夢に向かって努力し続けることの難しさについて語っていただきました。

アナウンサーという仕事との運命的な出会い

様々な職業があふれるこの社会で、平さんはどうしてアナウンサーを目指すことになったのでしょうか。

高校生のとき、地元の24時間テレビの募金活動に行ったことがあるんだけど、そのときに行かせていただいた撮影スタジオで、アナウンサーの人とはじめてお話をさせてもらったの。アナウンサーのデスクに座らせてもらったとき、ぼんやりと「すごくキラキラしてる、働きたい!あこがれの場所だ!」って思ったの。

他の人からしたら、普通の場所だったのかもしれないけど、私にとっては、すごく素敵な場所に感じた。このことをきっかけに、ぼんやりアナウンサーっていいなって思って。テレビとかみていても、アナウンサーいいなって思ってた。

 

ー24時間テレビの募金活動は、いつもは画面のなかでしか見ることがないアナウンサーや芸能人を間近に見られる有数の機会。そこで百恵さんは、アナウンサーという仕事に強烈に惹かれました。このアナウンサーという職業との運命的な出会いから、アナウンサーになるための厳しい道を歩んでいくこととなりました。

それから自分で調べて、アナウンサーになるにはスクール行かないと無理なんだってわかって。上京の9割くらいの理由はこれ。地元にはないから。だから、大学選びに関しても、東京の方が通いながらできるかなって思って、まずそこで上京を決断した。だから、津田塾が良いというよりは、東京に行きたいっていう思いがあって、そこから津田塾を選びました。

 

ー最初はぼんやりとした夢でしたが、夢に近づくにはどうすべきか、自ら調べ上京するというように、積極的に行動しはじめました。大学に入ってからは、どのような生活を送ったのでしょうか。

大学1年・挑戦と失敗

最初は、正直何をすれば良いかわからなかった。でも、とりあえず5月には、アナウンススクールのお試しに行ってみたの。そこではじめて本気でアナウンサー目指している人たちを見て驚いた。みんな本気でアナウンサーを目指していて圧倒された。そんな人、地元にはいなかったから。

それから、アナウンサーの登竜門って言われている日テレイベントコンパニオンにも申し込んだけど、選ばれなくて。それからは特に何もせず、大学に通って課題をしてっていう生活をしたよ。アナウンサーって難しいんだなって思ってた。 

大学2年・覚悟を決めて再挑戦

大学2年になって、日テレイベントコンパニオンもう1回受けようと思って、対策講座をアナウンススクールで受けたの。そこで「新橋ゆかた美人コンテスト」を知って。そこで結果を出せれば道は開けるのかもしれないと思ったの。それでもし何も受賞できなかったら諦めようと思った。

 

ー東京に出て、アナウンサーを本気で目指している人に出会い圧倒された百恵さん。次の年は、「何も受賞できなかったら諦める」という強い覚悟で「新橋ゆかた美人コンテスト」に応募しました。結果は、どうだったのでしょうか?

結果は、グランプリを受賞できて、少し自信がつきはじめた。アナウンサーなれるかもしれない、みたいな。ゆかた美人に選ばれたら、いろんなイベントに参加できるの。BS放送の司会をやったり、1日警察署長やったり。それがはじまったのが2年生の夏で1年間活動してたよ。

ゆかた美人として1日消防署長を経験したときの1枚

ゆかた美人として、イベントのMCをするときとかの原稿覚えは大変だったけど、自分にあってるかも!仕事にしたい!って思えた。MCとしてイベントを作ってる人に話聞くと、イベントってみんなで作ってるっていうことを実感したり、いろんな人の思いを知れるんだよね。自分と全く異なる人とかから話を聞くのもすごく面白かったし、仕事にできたら良いなって思った。

 

ーコンテストでグランプリを受賞した百恵さんは、ゆかた美人としての活動を通して、アナウンサーへの思いも強くしていきました。それから、ゆかた美人の先輩に紹介されたアナウンススクールに通い始めました。

2年生の夏にはスクールに本格的に通い始めて、3年生になってからは、就活が始まって、テレビ局にたくさんエントリーした。最初は全く通らなかったんだけど、秋とか冬にはだんだん通るようになったかな。

 

ー百恵さんの夢に向けた積極的な行動が、「ゆかた美人コンテスト」やアナウンススクールなど、様々な出会いをもたらしたようですね。

葛藤する日々ー夢に向かう自分と大学生としての自分

ーアナウンススクールやゆかた美人としての活動、学校との両立は、どのようにしていたのでしょうか?

大学に行きながら活動してたから、テスト期間は特にすごく大変だった。午前中にゆかた美人の活動があって、急いで大学に帰ってテスト受けるとか。特に2年生って必修の授業が多くてかなり忙しいから、本当に大変だった。ゆかた美人は新橋拠点だったから、大学からも遠くて、急いで移動してたな。これらに加えて、土日はスクールがあったんだよね。

でも、必修授業は全部受けたよ。自由科目はたまに休んだりもしたけど。それで留年したらもったいないから。課題とかは最低限やって締め切りまでには出すようにしてた。あと、テスト100%の科目は一切取らないで、レポート評価の授業をとってた。テスト受けられなかったら単位とれないからね。完全にアナウンサーメインで生活してたな。

交友関係に関しても、月〜金で学校の授業うけて、土日でスクールだったから、サークルとかもいけなくて、本当に友達がいなかった。サークルは野球サークル入ってたけど、思い出ゼロみたいな感じ。今も所属してるけど。飲み会とかたまに水曜日とかにあったら行くっていう参加具合。

 

ー早くから就職に向けて活動している百恵さんは、まわりの友達よりもかなり忙しい生活を送っていたようです。そんな生活について、百恵さん自身はどのように感じていたのでしょうか?

本当にいい経験できてるなって思う反面、忙しいから大変だなって思うことも多かった。寮に住んでるから門限もあるし、友達と遊ぶってなっても周りの友達みたいに夜遅くまで遊ぶこともできなかったから、自分のやりたいことをやってるっていう反面、もっとまわりの友達みたいに学生らしくサークルやったりとか飲み会やったりとかしたいなっていう思いもあったな。

途中でやめてもっと楽しく生きていきたいなとも思うこともあったけど、せっかくここまでやってきたのが終わっちゃうって思うと辛かった。頑張ったら頑張っただけ成果が出るわけではないけど、積み重ねないと道は開けていかないって思ってたから。でも途中で終わったら本当に終わっちゃうじゃん、それは嫌だった

何回もスクールの先生に「やめたい」って連絡したこともあったけど、「あと1回頑張ってから考えてみて」とか、「本当にアナウンサーなれるかわからない」って相談したら、「なれるかどうか考えてもどうにもならないから絶対なると思え」って言われたり、それでモチベーションが保たれたわけではないけど、それでなんだかんだ気付いたら1年半くらい就活してたって感じ。

 

ー忙しい生活を送ることについて、葛藤を抱えていたことがわかります。それでも、自分を律して、貪欲に努力を続けてきたのですね。実際に、就職活動をすすめるなかで辛いことなどありましたか?

マスコミって就活はじまるのが早いから、3年生の初めからエントリーシート出したりしてたけど、全然通らなかった。大きな局は、すごい大量のエントリーシートから数人とか数十人しか通さないと思うんだけど、自分が通ってるスクールからはたくさん通ったから、自分との差を感じて結構悩んだ。

大学の授業も普通に受けつつ、ゆかた美人の活動があったら行って、みたいな1年間の活動をやって、自分自身成長を感じる部分もあったけど、なんでこんなに通らないんだろうって思って。エントリーシートが通らなかったら面接を受ける資格すら得ることができないから、通らない理由をたくさん考えたけど、自分にはやっぱ遠い夢だったのかなって。そこでまた諦めよって思ったの。

本気で就活始めたのにね。でも、スクールの友達が夢に向かって努力してる姿を間近で感じていたからこそ、スクールやめるか、もうちょっと頑張るかっていう決断をしないといけなくて。ゆかた美人の友達はエントリーシートがすごく通って、スクール内で比べられることがすごく多かった。辛かったけど普通に友達だし、劣等感を感じつつも、一緒に頑張ろっていう感じだった。

最終的には結局80社くらいエントリーシート書いたかな。手書きで。エントリーのときに提出する動画も何百回もとって、良いものを出してた。

 

ー大変だった経験のうち忘れられないものとして、以下のエピソードを語ってくださいました。

3年生の12月頃にめっちゃインターンの試験が入ったのよ。自分のなかでも、調子がよくって色んな局受けてたから、オーバーヒートっていうか、キツかったんだよね。それで、飛行機乗り遅れたことがあって。もうたくさん飛行機とったりしてたら訳わかんなくなって。

で、飛行機の時間に寮出ちゃったの。そのあと空港で大泣きした覚えがある、辛くて。もう行ってもダメかもしれないって思うじゃん。行くのを諦めそうにもなったんだけど、その場で先輩に電話して、「とりあえずカウンターに行ってみよう」って言われて、とりあえず行ってみたら、乗せてくれて。

年末だから混んでたのに。インターンって前日入りするから、実際あんまり支障はなかったんだけどね。でもそういうことを経て、成長はしたと思う、精神的に。

 

ー夢に向かって本気で努力することは充実感も得られる一方、乗り越えなければないらない壁にも何度もぶつかるようです。この壁を乗り越えるうちに、精神力が強く鍛えられたのですね。

自己を理解し、自分にあった方法を徹底すること

ー今までのお話で、百恵さんは、夢に向かってハードな日々をすごしてきたことがわかりました。そのなかで、苦しい時期もあったと思いますが、そんな日々を乗り越える秘訣はありますか?

まず、個人的に息抜きはしない方が良い。もちろん友達とかの時間は大切にした方が良いと思う。だけど、相当リラックスしちゃうと、ダメだから(戻って来れなくなるから)。特に私はめっちゃ時間かかっちゃうタイプだから、もしそういうタイプなら、息抜きはしない方が良いと思う。

あと、一番大事なのは、自分を信じてあげること。面接とかで落とされたりとか、結果がでないときって「もうだめかもしれない」って思うけど、自分はずっと今までやってきたっていうことを信じて、自分の良さみたいなもの信じて、自分は自分の一番の味方になってあげることで、心が楽になるかな。

 

あとは、叶えられる目標を直近に作っておくと良いのかも。そしたら、小さいことでもやりがいとか感じられるし。サークルとかもそうだと思うけど、みんなが一緒に練習して成功したら達成感、とかいうように、私の場合はそれがイベントとかそういうことで、「今日のイベントすごく思い出になって」とか言われたらすごく嬉しかったから、イベントの成功を小さな目標にして日々すごしてたかな。

 イベントの準備をする様子

-現在オンライン化が進み、授業のあいまの息抜きの大事さが語られることもありますが、百恵さんは、自分を理解した上で、息抜きはしすぎないという戦略をとっていたようですね。自分を知って、適切な方法をみつけることは、私たち大学生全員の課題ともいえそうです。

諦めない心で夢を掴む

ー百恵さんは、コロナウイルスの影響にも苦しみながら就活を続けました。そのなかでもより具体的なお話を教えてくださいました。

忘れもしない試験があって、そこは始めて3年生の夏にインターン通ったところだったんだよね。で、本選考も順調に行ったけど、最終の1個前くらいで落とされて、そこまでいったら自分がそこで働くイメージとかもすごいわいてたのに、落とされて辛かった。

結局そこは友達が内定したんだけど、その友達も頑張ってたからおめでとうって思ったけど、辛かった。もう自分が内定もらえるビジョンがなくなったとか考えて、結構きつかった。次に行かないといけないって思っててもなかなか切り替えられなくて、辛かった。

 

ー早くに就職活動をはじめた百恵さんでしたが、選考でうまく結果をのこせずにいました。そんな苦しみも、アナウンサーという職業への執念で乗りきり、地元のテレビ局に内定をいただいたそうです。しかし、その内定はアナウンサーになれると確約されたものではなかったそうです。そんな状況でも、いち早くアナウンサーとしてのデビューを目指す百恵さんは、努力を惜しみません。

最近は、内定もらった局で流れたニュースをノートにまとめてる。やっぱり一年目からアナウンサーデビューしたくて。これが実を結ぶかはわからないけど。一番県内で、この人なら話したいなって思えるアナウンサーになることが目標だから、地元のことは知っておかなきゃいけないって思う、

地名の勉強とかにもなるしね。インタビューとかする機会があったとしたら、信頼関係が大切になる。やっぱり相手に関する知識がないと信頼してもらえないから、ニュースとかをまとめることで、知識をつけてる。もし、報道記者とかになったとしても、いろんなことを吸収しやすくなる下準備になると思う。1日でも早くアナウンサーデビューしたいの。そういう思いでやっている。

 

ー最後の一文に、悔しさ、アナウンサーへの憧れの気持ちなど複雑な思いを感じます。総合職として、報道記者や人事、アナウンサーなど何になるかまだわからないそうですが、今でもまだアナウンサーになりたいという気持ちを絶やさず、努力し続ける姿にとても感銘を受けました。百恵さんが、アナウンサーデビューできる日が1日でも早く来ることを、私たちも強く願っています。

アナウンサーという大きな夢に向かって猪突猛進に行動してきた百恵さんのお話は、夢を追いかける多くの人に希望を与えるものだと感じました。まだ、夢の実現が確約されたわけではないですが、着実に夢に近づいている百恵さん。これからも努力を絶やさず、夢を叶えることでしょう。

読者の皆さんのなかにも、何か大きな夢を持っている人がいるのではないでしょうか?大きな夢だから叶えられるか不安、コロナでいろいろ変わってどうして良いかわからない、とその場で足踏みしてしまっていませんか?

この記事が、皆さんが一歩を踏み出す「きっかけ」になると幸いです。

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