今回の先輩大図鑑は、早稲田大学法学部4年生の上羽ともかさん。現在たくさんの課外活動に取り組むともかさんに、大学生活全体を振り返っていただき、そのエネルギーの源に迫りました。
今の生活にモヤモヤした感情を抱いているにもかかわらず行動できない人、コロナによってさまざまな機会を失われた人などたくさんの人の心に響く内容です。
※Tomokaさんの活動については以下の記事でもご紹介されています!ぜひご一読ください!
大学生活の振り返り
ー他の記事でも紹介されているように、ともかさんは、現在たくさんの活動をされています。大学時代を最初から振り返っていただきました。
大学1年前半:これで良いの?のまま時が過ぎた
ーともかさんは大学入学当初から活動的だったんですか?
実は1年生のときは、全然活動的な人間ではなかったんだ(笑)大学に入ったのも何の目的もなく、みんなも行くから行ったって感じ。だから、志望校も、行けそうなところで1番偏差値が高いところに行っておこうと思って入った。今、法学部にいるだけど、法学部に入った理由もないんだよね(笑)
そういう気持ちだったから、大学に入学してからも特にやりたいことがなくて、とりあえずみんなと一緒のことしておこうって思って、大きなサークルに入ってみた。飲み目的とか出会い目的で入っている人も多かったなあ。でも、大学生ってこんなもんなのかなって思いながら、私も飲み会行って、遊んでインスタにあげるっていう典型的な大学生をしてたの。
ずっと遊んでて、なんとなくこれでいいのかなっていう気持ちはあったんだけど、そのまま1年生の前半が終わっちゃったんだよね。
ー何の目的もないまま、ただ流されて過ごす生活に「これで良いの?」という迷いを感じながらも、1年生の前半を終えたともかさん。1年生の夏が彼女の大学生活を変える大きな契機になったそうです。
1年生後半:異文化経験とやりたいことの発見
1年生の夏に早稲田のプログラムで初めて海外に行く機会があって、カナダに短期留学に行ったんだけど、それがすっごく楽しかったの。
今まで外国の人と接する機会が全然なかったから、他の国の人と英語で色んなことを話すのは、すごく新鮮な経験だった。遠いと思ってた海外の人と、いろんな意見が交換できて世界は狭いな〜って感じた。そんな感覚、今まで感じたことがなかったんだよね。
私は中学受験をしたから、小さい頃から割と同じような偏差値で、似通った社会的境遇で育ってきた人の集団のなかで生きてきたの。だから「異文化交流」みたいなのがあまりなかったんだけど、カナダに行って、全く違う考えをした同世代の人に囲まれて初めて、自分の考え方とか価値観が全てじゃないんだなってわかったし、いろんな価値観を共有しあえて心から楽しいと思えた。
▲カナダでの短期留学中の1枚
ーそれまで海外に行ったことがなかったともかさんが海外に行ってみよう!と思えたのはどうしてですか?
さっきも言ったように、早稲田に目的もなくなんとなく存在している自分について、「これで良いのか感」があったんだよね。その「これで良いのか感」を解消するために、何かしなきゃ、何をしようって考えたときに、早稲田の利点を生かして何かしようと思ったんだ。それで早稲田といえば国際色が強いなって思って、留学説明会に参加して、面白そうだったから行ってみた。
ー短期留学を終えて、ともかさんのなかでどんな変化があったのでしょうか。
帰国してから、他の国ももっと自分の目でみてみたいなって強く思うようになったんだ。海外の楽しさに気づいたというか。そうなった瞬間、サークルで使うお金とか時間がすごくもったいなく感じるようになったんだよね。だから1年生後半からは、サークルも全部やめて、ひたすらバイトしてお金貯めて、長期休みは海外に2ヶ月くらいドーンっていく、そういう生活を3年生ぐらいまでずっと送ることになったよ。
▲シンガポールにて。
ー「これでいいの」という悶々とした気持ちから一転。いろんな国を自分の目で見るというはっきりした目標ができて、以後、迷いなくバイトと海外旅行に没頭するようになったんですね!
2年生:居心地の良い場所をつくる
それから2年生は、暇あれば海外!みたいな生活をしてたんだけど、同時にサークルを全部やめちゃったから、属している組織が何もなくなっちゃったんだよね。
だけどいざ属している組織がなくなると人間って不安になるから、「大丈夫かな自分」って思いはじめたの。それで改めていろんなサークルを見に行ってみたんだけど、自分に合いそうなサークルがなくてさ。じゃあもうそれなら自分でつくっちゃえばいいじゃん!って思って、2年生の最初に学生団体OPENっていう団体をつくりました。
だから2年生からは、海外旅行にのめりこみつつも、自分で初めて作った団体っていうのを動かすっていう生活を送ってたかな。
ー「ないならつくる!」っていう発想よく聞きますけど、実行に移している人ってそういないですよね。かっこいい!OPENはどのような団体ですか?
OPENは最初はオリンピックのために作った団体。大学2年生のときにオリンピックのボランティアについて、ブラックボランティアとかやりがい搾取とか、英語力や資格が必要とか、そんなことが議論されてたのを覚えてる?それを見てなんかモヤモヤを感じていたんだよね。
オリンピックってすごく大きなイベントで、関わりたいっていう人も多いはずなのに、条件のせいでオリンピックに関われないのはもったいないじゃん?だから、関わりたい気持ちがあるなら誰でもかかわれるような機会がつくれればいいなっていう思うようになって、そこから「色んな人が関われる東京オリンピックを盛り上げられる団体をつくろう」っていうコンセプトでできたのがOPENなんだ。
ー「ないものはつくる」マインドで設立した学生団体OPEN。大学2年では、海外経験をつむことと、団体運営の2本柱で奔走してきたのですね!
3年生:大好きな国への留学と帰国してからのギャップ
2年生でたくさん海外に行ったけど、なかでもマレーシアとか東南アジアにすごくひかれて、旅行だけじゃもの足りないなって思ったから、休学して「住んじゃおう!」と思ったの。でも何の目的もなく住むのは微妙だから、せっかくなら留学しようって思って、3年生の春学期マレーシアに留学にいきました。それがもうすごい充実してて楽しかったの!
▲マレーシアにて。
それで、大好きなマレーシアに何ヶ月もいれて超幸せだったんだけど、帰国したら急に就活しなきゃいけなくなったのね。それがすごくしんどかった。楽しかった日々との落差がすごすぎて(笑)
私はとりあえず「今」楽しいことをしていたいっていう思いで行動してきたから、「将来」何したいっていうビジョンもなかったし、いきなり将来やりたいことを見つけろとか言われてすごいしんどくなっちゃったんだよね。全然やりたいこともないし、でも周りのみんなは内定決まっていくし、本当に心を病んで学校行けなくなったりして、本当に3年の後半は就活したくないけどしなきゃ行けないみたいな感情でずっとしてたね。
ー楽しいマレーシアでの生活からの就職活動。突然社会や自分の将来のことについて考えさせられる就職活動、当然心は疲弊しますよね。
4年生:コロナ禍
それで就活に葛藤した結果、私はやっぱり海外で働く進路にするぞって決意したんだ。でも、その矢先にコロナが始まって海外に突然いけなくなって、急に日本で就活しないと生きていられない状態になった。それで、仕方なくもう1回自分を見つめなおして就活に向き合わなきゃいけなくなったの。
でも、コロナのおかげと言っちゃなんだけど、今までみたいに「就活以外の選択肢がある環境」じゃなくて「とりあえず就活するしかない環境」になったことで、不思議と変にあきらめがつくようになったんだよね(笑)だから、3年生の時ほど就活アレルギーは発症しなくなってて。
それで、「今は行けないけど仕事でいつか東南アジアの国々と関われたら楽しそうだな、じゃあ会社として東南アジアの関われる企業を探せばよくない?」みたいなラフな気持ちで会社選びができるようになって、4年生での就活は意外とスムーズいったんだ。
そんなこんなで就活へのもやもやは落ち着いてきたんだけど、今度はこのまま家で寝てて良いのか?ってそわそわしてきて。コロナになって色んな社会問題がニュースで流れているのに、私は何もしなくて良いのか?って、なんか焦燥感みたいなのを感じ始めたんだよね。そこではじめたのが「休校塾」、「できること会議」、そして「お助け法学部」の3つ!
コロナになって、今まであんまりやってこなかったようないろんな活動をはじめたんだけど、それがラッキーなことに結構軌道にのって、4年生の間はずっとそれに全力で取り組んできたよ。それに加えて、時間があるし、雇われるだけじゃ不安だなって思って将来役立ちそうな資格をとったりもした。
だから、4年生は就活、コロナ禍による活動、資格取得の3つの軸で動いた1年だったかな。正直今までの私はめちゃくちゃアグレッシブな考え方をしてたから、「就活とか資格取得とかって守りの選択肢だろ!」なんて思ってたのに、結局ちゃんと就活もして国家資格まで取って。我ながら不思議だよ(笑)コロナには良くも悪くもめちゃくちゃ影響されたし、大学生活の最後に考え方がぐるっと変わった1年になったな。
ーそういえば、学生団体OPENはこのときどうなってたんですか?
オリンピックの当日色々なイベントをやろうとか、色んな人が集まれる憩いの場を作ろうとか計画してたんだけど、オリンピックが延期になっちゃったよね。それからは、やれるかどうかわからないものには情熱を注げないから、とりあえずオリンピックをゴールにすることはやめた。
でも、今まで進めてきたこともあるし、いっぱい学生は集まっていたから、色々考えながらやってみようぜ〜ってなって、オンラインオープンキャンパスとか、国際交流イベントとか手当たり次第やりたいことをやる団体になった。
OPENって、門戸を広げるというか、そんな感じの名前の由来があるから、そこの理念さえブラさなければなんでもやって良いっていう感じ。やりたいなって思った人が何かできるみたいな、今はそれをメインテーマに活動している。
本当に4年間脈略なく、特にこれを続けてきましたみたいなものが全然ないんだけど、だからこそ、色々めちゃ悩んでやってきたからこそ見えてきたものもあるな、なんて思っています。
ー最初は目的がないなんとなくの大学生活を送っていたとは思えないほど、幅広く活動してきたんですね。
行動力の源泉
▲マレーシアでの1枚!素敵な笑顔!!
ーともかさんの行動力の源泉って、「今自分がいる場所を、もっと良いものに変えたい!」っていう欲なのかなって思ったんですけど、それは小さいころからずっと持っている意識なんですか?
そうだね。中高の話をすると、私は中高一貫校を受験したんだけど、中学校が本当に合わなくて、本当は中高一貫校だから辞める人なんかいなかったけど、高校をもう1回別のところを受験したんだよね。
中高一貫校の時は、みんな中学受験10倍とかの競争を勝ち抜いて入ってきてたから、ストレスを感じながらもその学校から抜ける人はいなくて、結局6年いる人ばかりだったけど、私はその「勉強がすべて」みたいな雰囲気が耐えられなくて、中退して高校受験をしたの。
「高校生活は青春したい!行事も部活も全力でやりたい!勉強だけなんて無理!」って思ってね(笑)それで、元々いた中高一貫よりは偏差値が低いけど、その代わりものすごく行事が盛んな学校に行ったんだ。
でもそれが個人的にはすごく良い経験で、高校行ってからみちがえるように毎日が楽しくなった。だけど、その高校で過ごしていくうちに、「この行事、もっと面白くできるんじゃない?」みたいなモヤモヤを感じるようになったの。でも行事をもっとよくするには校則が邪魔で。だから校則変えちゃえと思って、校則をかえるために全校生徒にプレゼンしたりとかもしたな。
こんな感じで、自分がストレスとかモヤモヤを感じたり、嫌だなって思ったことを手あたり次第どんどん変えてきた人生を過ごしてきたんだ。変えることの方が負担だし我慢したほうがマシだって思う人もいるかもしれないけど、私は現状を変えるために行動を起こす方が、我慢するよりよっぽどワクワクして楽しい!って思えるタイプだったから、そうやってきた人間だったんだ。
だから大学に限らず、自分がいる場所を居心地の良い、常にベストの充実状態で満足できるところに変えようっていう生活をしてきたの。
たまに「その行動力の原体験は?」って聞かれるんだけど、実はそれは自分でもよくわかんなくて、たぶんこれ結構生まれつきの部分が大きいんだよね。小学校の時からそうで、例えばクラブ活動をめっちゃやりたかったんだけど4年生からしか入れなかったの。
だから2年生の時に、独自でクラブ活動を作って、1.2.3年生に呼びかけて君は木登りクラブのリーダー、あなたはイラストクラブのリーダーねとか決めて勝手に学校のシステムに介入してみたり。
こんなふうに小さい頃から何かと声をあげて行動してきたんだけど、一番大きかったのは、自分の行動を評価してくれる先生や友人が多かったことかもしれないな。
下手すれば「何あの子〜」みたいに言われかねない性格だと思うんだけど、本当に周りに恵まれてて、すごいね、そうやって動いてえらいね〜って認めてもらえてきたから、自己肯定感とか成功体験が積めて、行動することへのハードルが下がってきたんだよね。そういう意味では、自分の行動力は、周りによって知らず知らずのうちに育まれてきたのかもな、なんて思うよ。
日々のモヤモヤと向き合う
ーOPENやコロナ禍の活動は、社会問題に関係するものですよね。これまで常に社会問題に深く向き合ってきたんですか?
正直全然向き合ってきてないのよ(笑)だから、OPENなんかは「これがやりたい!」という気持ちよりも「自分がリーダーになりたい!」っていう気持ちが先行してたな。サークルに一応所属してたけど、今まで小中高って何をするにもリーダーのポジションにいたから、改めて組織の一員として、しかも下っ端として行動することが自分には向いてないなって思ってて。
それであとづけで何かしようって思って、そのときたまたまニュースで取り上げられててモヤってしたことについて、「ちょうど良い、これ私がやればよくない?」みたいな感じになってやったのがはじまりだったりする。
ー社会問題への関心というより、自分が代表の団体をつくりたいという気持ちが大きかったんですね!そのノリで人が集まるのもすごい。
最初OPENを始めた時なんかは、いきなり60人くらい集まってくれて。予想外の人数すぎて自分でもめっちゃびっくりしたよ(笑)最初は近くの友達にやろう〜って言ってたんだけど、だんだんその輪が広がって、日本各地からいろんな人が集まってくれたんだよね。たぶんそのとき東京オリンピックのやりがい搾取みたいな話ってわりと大きく取り上げられてたから、みんなの関心度が高くてたくさんの人がきてくれたのかな。
それで最初はほんと、「ノリで始めたけど、なんだかんだ人たくさん集まってくれてうまくいきそうじゃん!やっぱ私はリーダー向いてるよね!」みたいに思ってたりもしたんだけど、後々この「ノリで人を集めたこと」が自分の首を絞めることになるとは、当時の私はまだ知らないのです(笑)
組織運営:OPENでの失敗経験
ー小中高と比べると規模が大きくて運営って大変でむずかしくならないですか?
そう、もう本当にそれがすごい難しくて一旦解散した(笑)海外からのメンバーも集まったりしてて、基本リモートで動かなきゃいけなかったんだけど、2年前なんてリモートのツールなんて何一つ知らなかったし、なによりこんな大人数の組織運営したことないから右も左もわからなくて全然みんなをまとめることができなかった。なにより一番問題だったのが、何をやるか具体的なことを全く決めていなかったこと。
OPENは、オリンピックに関する何かをしたい、盛り上げたいっていう気持ちだけで始めちゃったから、いざ60人が集まったときに「で、うちら何するん?」みたいな感じになっちゃって。せっかく集まってくれた人たちの期待に背くような形になっちゃったんだよね。
そこはすごく反省してて、60人も集まってくれたのに気持ちばかりが急いじゃって、「なんかでかいことしたい!から人集めよ〜」みたいな感じで集めたはいいものの、結局活動の内容が後付けだったから、ほんと中身が空洞のバブルみたいな団体になっちゃったの。そこからは、一旦60人は解散して、そこから名乗り出てくれた有志の10人でやっていくことにして、仕切りなおしたんだ。
この経験から学んだのは、ゼロからイチの活動をするときは、最初は少人数で始めて、必要に応じてメンバーを集めるみたいな運営方法がベストだということ。運営の人数が多いと大変なんだよね。チームビルディングとか内側の問題が大きくなっちゃって、本来の活動に力を注げなくなるという本末転倒になっちゃうのよ。けど今まではなんとなく「規模が大きいものほど良い」みたいに考えちゃうところがあって、その考え方は違ったな~と今は思うよ。
▲学生団体OPENのミーティングの様子
ーともかさんは今まで自分がつくった組織以外にはあまり所属してこなかったから、どういうふうに組織を運営していくかわからないままだったんですよね?
そうね。ほんとに20数年間自分がリーダーになる組織ばかりに属してて、「いちメンバー」としての気持ちとか考え方をあんまり理解できてないタイプの人間だった(笑)
特に大学入って海外の楽しさを知ってから、「なにこれ日本古臭いわ」みたいな気持ちとか、「サークルとかもうアホくさ」っていう反骨精神がすごい時期があって。だから、サークルやめて自分の道をいくんだ、みたいな気持ちもあって団体をつくったから、他の組織の事例も知らないし、情報もなかった。そんな感じで、最初はもう勢い・情熱だけでやっちゃってたんだけど、それで大学生活何かと失敗してきた経験を通して、初めて「これじゃいけないんだ」って学んだんだよね。
私はこれまでの人生結構上手くいっちゃうタイプで、何かやりたいなって思ったこともなんだかんだ成功したりしてて、どでかい失敗みたいなのをしないできたんだよね。だから、どんな団体でも自分ならうまくやれる!みたいな根拠のない自信があったんだけど、現実はそんな空虚な自信だけじゃうまくいかなかった。
団体をつくって人を集めるってことは、その集まってくれた人に充実感を感じてもらう責任が生じるんだなってことに気づいたの。だから学生団体OPENを通して、「組織はどうあるべきなのか」とか「リーダーはこういうことをしたら良いんだな」とか、実践しながらいろんな学びができて、その失敗が今に生きてるんだなって思いますね。
▲現在も活動を続けるOPEN
失敗したとしても、最後に成功すれば結果それは成功したと思えるから、失敗したことはすぐ記憶から飛ぶんだよね(笑)終わり良ければすべて良し的な考えを持ってるから、あんまり自分の中に「失敗を引きずる」という感覚はないんだ。さっきも話したけど、ちょっとでもモヤモヤを感じることがあれば、すぐに行動を起こしてベストな状態に持っていきたいと思うタイプだから、OPENもスタートで失敗しちゃったからこそ、そのあと自分なりに努力して良い団体に変えてこれて、結局それって成功じゃん!って思ってて(笑)だから、「じゃあ次もやってみよう!」って思えるようになるというか。だから常に前向きに行動できてるのかなぁなんて思うかも!
ー今現在、たくさんの組織に運営として所属しているともかさん。疲れやストレスを感じることはありますか?
全然ある(笑)むしろ私、人一倍ストレス感じやすいタイプだと思う。でも、同時に何かしてないこともストレス。私のなかに2人いて、なるべく人と関わりたくない、家にひとりでいたい私と、このまま私は黙ってて良いの?できることあるんじゃない?みたいなアグレッシブな私がいるんだよね。そんな自分の中の二面性のせいで、なにかとストレス感じることは多いかも。
正直、組織にいる私と友達といる私って全然違う人だと思うんだよね。組織ではそれなりに強いというか、大丈夫なわけ。つまり、アグレッシブなともかね(笑)でも友達の前では「無理~眠い~病む~」ばっか言ってる超意識低いともかだったりするの。だから本当に自分の中に全く違う2つの顔があって、でもそのふたつの自分があるからこそ、どっちも発散できてるっていうか、団体ではガツガツ働いて、ガツガツ働きすぎると疲れるから友達とかとめちゃくだらない話して、笑って生きるみたいな。上手くそこは両輪として使い分けられているのかな〜って思う。
ー自分のなかの全く異なる2人の自分。互いにストレスを与え合って、苦しくなりそうですね。
バリバリ動きたい自分と、すぐしんどくなっちゃう自分にはさまれて、しんどくなって学校行けなくなったりとかもあったよ。活動しているときはアドレナリンのおかげでストレスを感じないんだけど、ふとしたときにめちゃ感じるんだよね。
でもね、乗り越え方がわかってきた感はある。昔は本当にいろいろ手を出しすぎてキャパオーバーしてたりしたんだけど、そういう経験を通して「意識してサボる」事が自分には必要だなって気づいたのよ。それに気づいてからは、1週間毎日朝から晩まで予定を入れまくるみたいな生活はやめて、1週間に1度は昼過ぎまで寝て1日中ベッドで過ごすような超意識低い日を作るようにしてる(笑)こんな感じで上手く自分のストレスと向き合えるようになってきたんだ。
リーダーとして
もちろん、団体運営しているなかで、愚痴りたいときはたまにあるよ。でもリーダーの私がメンバーのことを悪く言っちゃいけないってのはいつも思ってる。もし私が誰かのことを悪く言ったら、この人私のことも言ってるのかなって思われて、全体の不信感につながると思うんだよね。
だから、なんだよ〜って思うことがあっても、組織内ではなるべく言わないようには気をつけてるかも。ストレスを感じたら全然違う界隈の人に言ってる。だから自分の属する組織に何でも話せる友達みたいな人はそんないないんだよね。逆に組織から離れて「リーダーではない私」として過ごせる人とはすっごい友達ってなる。
もちろん、毎秒自分の使い分けを意識してるわけじゃないけどね(笑)自然と使い分けてる。
就活を通した活動軸の変化
ー失敗を乗り越えて運営してきたさまざまな組織。組織運営の仕方や組織に対する思いの変化はありますか?
3年生のときまでは、自分がプレーヤーでいたかったというか、自分が常に何かを変えていく第1人者みたいなのでありたかったの。だけど、3年間それでやってきて、その役回りに満足してきたんだよね。
その代わり、活動を通してできたたくさんの後輩たちに同じような気持ちを感じる経験をして欲しいなとか、他の人にgiveしたいっていう気持ちが出てきたんだ。私の力できたんじゃなくて、周りの人がサポートしてくれたから私はここまでできてきたと思うからこそ、その自分の経験を還元したくなったんだ。
そういう気持ちが出てきてからは、自分がガツガツ何かを進めていくっていうよりかは、関わってくれる後輩が活躍できる場をつくりたいって思って活動するようになったね。3年間いろいろ経験して、入ってくれた人の立役者になりたいみたいな気持ちが出てきて、すごい変化があったな。自分の立居振る舞い方とか、考え方とか。
ーそれは何をきっかけに考え方が変化したんですか?
たぶん就活かも?就活のときめっちゃ自分とか自分がやってきたこととかに向き合うじゃん?そこで、自分が今までやってきたことって、自分1人じゃ何もできてなかったなって改めて気づかされたんだよね。OPENだって、一緒にやろ〜って言った時にいいよって言ってくれた友達がいたからやってこれたし、何をするにも良いんじゃない?って言ってくれる人がいたからこそやってこれたな〜って思って。それで4年生になるときに、今までそうやっていろいろやらせてくれた周りに還元する、参加した人が成功体験を詰める場をつくれる人になりたいなっていう価値観が芽生えて始めたんだよね。
良いタイミングで就活してコロナがきて。
点と点が線みたいな、そいうのを目指してたわけではないけど、たまたまいろいろ繋がって。
課外活動の傍ら
ー海外旅行や課外活動に大没頭していたお話が続きましたけど、勉強の方はどうしてたんですか?(笑)
学校はほとんど学校の授業サボったことないし、学校も超ちゃんとやってたって伝えておきたい(笑)私、完璧主義者で、関わったもの全部150%くらいでやりたいから、テスト期間とかはガチで1日10時間くらい勉強してたタイプ。
正直法律も最初は全然興味なかったから、法学部入って後悔したときもあったけど、そうやってちゃんと学んだら意外と楽しくなってきて、最終的には法律の国家資格まで取るまでに至ったからね(笑)性格的にサボることができなかったからこそ、なんとなく入った学部の勉強もだんだん楽しめるようになったりもしたかな!
ー勉強も課外活動も海外経験も…大学時代にたくさんの経験を詰み学びを得てきたともかさん。やり残したことや後悔はありますか?
うーん、そんなにないかな。しいて言うなら、もっと不特定多数の友達を作っておけばよかったなって思う。高校までは広く浅くで、「たくさん友達がいる私!いえい!」って感じだったんだけど、大学になってからは、だんだん友達ってたくさんいらなくない?
わかってくれる人が数人いたら良いやって思って、そっからあまり交友関係を広げてこなかったんだよね。例えば「ご飯いこ〜」とか話の流れで言うじゃん、でも結局行かないタイプだったし、そのご飯行くお金があったら海外いくって感じだった。
でも今思うと、せっかく早稲田っていう大きなコミュニティにいて、それなりにご縁がたくさんある場所にいたから人に興味を持ってもっとやれたなって思っているから、そこはやや後悔だね。
ーそれでは最後にコロナ禍を生きる大学生、後輩に向けたアドバイスをお願いします!
withコロナって多分しばらくは続いていくよね。もしかしたら入学から卒業までwithコロナで生きていく後輩たちもいるかもしれない。でもこれは全然悲観することじゃなくて、むしろ考え方に依ってはチャンスだと思うのよ。問題がたくさん起こる環境って、その分新しい流れとかが起こりやすい環境だから!
コロナが終わったら頑張ろう、なんて思ってるとたぶんすぐ大学生活終わっちゃうから、「今この状況で私にできることってなんだろう」って視点を持つことはとても大事かも。それに、行動してもノーリスクなのは学生だけだから、とにかく今目の前にある興味にどんどん飛び込んで、いっぱい失敗して、そうしていくうちに点と点が線になって、最終的に本当のやりたいこととか好きだなっていう気持ちとかに出会えると思うんだ!だからコロナを前向きにむしろ生かしてやろうって思って動いてほしいなって思います。
がんばれ後輩!!!!
今、心躍るような気分で大学入学が決まった1年生が、コロナによる挫折感、絶望と似たような気持ちを経験して約1年がたとうとしています。
この1年何もできなかった人もいるかもしれません。しかし、このコロナはまだまだ収まりそうにもありません。今のこの環境下で自分ができることは一体何なのでしょうか?
ただでさえ生きにくいコロナ環境を楽しく充実した時間にするにはどうしたら良いのでしょうか?
多くの読者のみなさんが、この記事を読んで新たな行動に一歩足を踏み出すことを願っています!
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