今回の先輩大図鑑は、東北大学3年生の峯村遥香さん。
高校時代までを神奈川県で過ごした遥香さんは、大学進学を機に仙台に移り住みました。
現在は、今年4月に自ら立ち上げたProject San-Elevenという団体で、東日本大震災に関わる活動に携わっています。
被災経験のない遥香さんは、どんな思いを持って東日本大震災に向き合っているのでしょうか。彼女は自分の中に抱えていた「思い」をどのように形にしていったのでしょうか。
活動を始めるきっかけ、震災に向き合うことの難しさ…彼女が持つ強い「思い」に迫ります。
「何かしたい」を形に
Project San-Elevenとは
ー東日本大震災に関連した団体は数多くあると思いますが、遥香さんが代表を務めるProject San-Eleven(以下、San-Eleven)とは、どんな団体ですか?
San-Elevenは、記事やポッドキャストを通じて震災や東北のことについて発信するほか、様々な人の震災に関する経験や思いを書いてもらう活動をしています。
基本的にはオンライン上での活動ですが、リアルタイムで話すことができる場を作ろうと、オンラインイベントも行っています。
この団体の特徴は、震災で被災した“当事者”ではなく、“よそ者”にスポットを当てていること。
私たちは復興支援や震災の伝承をしようとしているのではなくて、自分は震災と関係ないと思っている”よそ者”の人たちが、震災や東北に対する思いを語ることを通して東北をもっと好きになってもらいたいという思いを持って活動しています。 ▲San-Elevenのロゴ。
「何かしたい」
ー遥香さんは大学進学を機に東北で暮らすことになったそうですが、このような活動をはじめたきっかけは何だったのでしょうか?
大学で一緒に遊んでいた友達に留学生が多かったのですが、彼らが「仙台に来たからには震災のことを知りたい」と言っていて。
それは私も同じで、自分も仙台に来たからにはちゃんと知らないといけないという思いを抱いていて、大学に入学してからはボランティアに参加してみたり、スタディーツアーを企画する授業を取ったりもしていました。
そこで、「ちゃんと知りたい」という留学生の思いをかなえたいと思って、被災地への旅行を企画していたんです。
その矢先に新型コロナウイルスが流行してしまって、結局、4月に行く予定だった旅行は中止せざるを得なくなってしまいました。
でも、自由に活動できないまま時間は過ぎてしまうけれど、留学生の帰国は夏に迫っていて。彼らが帰ってしまう前に何かしたいというもやもやした思いを、Instagramに投稿したんです。
そうしたら、東北大の友人だけではなく、高校時代の友達や既に帰国した留学生など、10人くらいから連絡があって。そのメンバーでオンラインで集まって、「私たちに何ができるのか」をずっと考えていました。
“よそ者”だからできること
今の活動にたどり着くまで
ー「何かしたい」という課題意識を持った人が集まって始まった団体なんですね。様々な人に体験談を書いてもらうという活動に至ったのはなぜなのでしょうか?
人が集まったはいいものの、全く具体的なことは決まっていなかったので、形にできるまではとても時間がかかりました。
今のSan-Elevenの活動にたどり着いた大きな理由の1つは、自分が被災していないということ。
震災のことはもちろん覚えているけれど、かといって何かしてきたわけではない。でも何かしたかったという思いは持っていて。
その思いを語り合いながら、自分にできることを考えていったときに、自分のような“よそ者”に共感してもらえるようなものを作りたいなと思ったんです。
私は今仙台に住んでいるのですが、普通に暮らしていて震災の痕跡を見ることはほとんどできません。だから、震災のことを忘れてしまいそうになるんですよね。
でもある時、宮城県で生まれ育った友人が震災当時の話をしているのを聞いた時に、自分と震災がぐっと近づいたような感じがしたんです。
これまで語り部さんから震災時の壮絶な経験について話を聞くこととかはあったけれど、それはどこか遠い話のような感覚がしてしまっていて…。でも、友達の話はなぜか自分に強く刺さって。
これをもっとやったらいいんじゃないか?と考えて、San-Elevenの「体験談を書いてもらう」という活動にたどり着きました。
東北に住む私、“よそ者”である私
震災から10年経とうとしている今でも、震災をめぐる差別は根強く残っているんです。被災地の農産物に対する不買運動は今もあるし、私自身も、「仙台って住めるの?放射能危なくないの?」とか聞かれたこともあります。
それを言われたときは素直に怒りを覚えたんだけど、冷静になって考えると、外から見てわからないのは当然ですよね。
私もここに来て学んだから知ったことだし、自分も少し前まで何も知らなかった。
だから、そういう気持ちを持つことも理解できるんです。そんな私だからこそ出来ることがあると思っています。
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向き合うことの難しさ
ーSan-Elevenでは、被災した当事者にお話を聞くこともあるのですか?
私は、あまり進んでやろうとは思っていないです。この話題って、LGBTQの話題ともよく似ているところがあると思っていて。
当事者だからわかること、話せることがある一方で、それを人に話したくないと思う人もたくさんいる。当事者に語らせることは、辛い経験を思い出させてしまうことにも繋がってしまうし、実際それで疲弊してしまっている被災者の方もたくさんいます。
でも、当事者の話を聞いて知ることも大切だし、難しい問題ですよね。
震災に関する復興支援ってよく目にするけど、そもそも“支援”という言葉自体に上下関係が存在していて、果たしてその言葉が正しいのか?と思ってしまうし、何も知らない人が支援をしようとしても、寄り添うことなんてできないと思うんです。
ー支援ではないとしたら、どんな言葉を使ったらいいのでしょうか?
私は“応援”、“貢献”、“ファンを作る”といった言葉で自分の活動を表現しています。東北に対する差別を減らして、愛を増やしていきたいという気持ちがあるので。
ーその言葉、とても素敵です…!では、私たち、特に“よそ者”が今できることって何だと思いますか?
まずは、思い出すことだと思います。ただ一方的に「東北はこんな場所だよ」「震災の時はこうだったよ」と言われても、あまり興味が持てないと思うし、自分とは遠い話のように感じてしまいますよね。
では逆に少し発想を変えて、自分が震災の時、何をしていたか、どんな気持ちになったか、そんな自分の話から始めてみるのもいいかもしれません。
自分の話から出発することが、回り道かもしれないけれど、東北や震災に思いを巡らせたり、もっと知ろうと思うきっかけになるのではないかと思っています。
▲仙台市の秋保での一枚。
思い出す。伝える。
思い出すこと
ーSan-Elevenの活動にふれた人に、何を感じて、行動してもらいたいですか?
行かないとわからないことってたくさんあるので、是非、東北や震災のことを知るだけでなく、足を運ぶきっかけになるといいなと思っています。
でも、「知る」と「行く」は全然違う。実際行くとなると、時間やお金の制約もあるので、なかなか難しいかもしれないですよね。
だから、足を運ぶことは難しくても、震災のことを少し思い出してみてほしい。その「思い出す」という小さな行為をするだけで、次に東北や震災の話題を目に/耳にしたときに、ちょっと見方が変わる気がするんです。
思いを誰かに伝えること
あと、この活動を始めるにあたってInstagramで「何かしたい」と投稿したときに、本当にたくさんの人から連絡をもらったのですが、それは大きな成果の1つだと思っています。何かしたいという気持ちを自分の中で留めるんじゃなくて、私に伝えるという行動をしてくれたということがとても嬉しかったです。
ー思うという段階から一歩進んで、それを誰かに伝える。それだけで、その「何か」が形になるきっかけをつかむことができるのかもしれませんね。
遥香さんの強い思いを耳にし、筆者も“よそ者”のひとりとして、深く考えさせられる1時間のインタビューでした。
もうすぐ東日本大震災から10年が経とうとしています。あの日何をして、何を思っていたのか―。これを読んでいるあなたも、少しだけ思い出してみてください。きっと、少しだけ、あなたと東北を近づけてくれることでしょう。
震災に関わらず、今「何かしたい」ともやもやを抱えている方も多いのではないでしょうか。その思い、誰かに伝えてみませんか。その一歩が、実現へのきっかけになるかもしれません。
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