平和教育活動をしている山西咲和(さわ)さん。
今回は彼女のインタビュー記事の前編に続き、後編の記事となっています!
まだ前編を読まれていない方はぜひこちらからご覧ください!
在日外国人をめぐる問題の原点は戦時中の考え方にあった
▲仮放免されたナイジェリア出身のエリザベスさんと。入管の劣悪なシステムを改善するための活動をしている。
出入国在留管理局で外国人と対話
週一回、長崎県の大村にある出入国在留管理局(以下、入管)に通ってるんだ。そこに収容されている外国人と面会して、30分間話をするの。今は4人と定期的に面会しているよ。
ー入管にはいつから行き始めたの?
初めて行ったのは東京の品川の入管で、クリスチャンの友達と行ったよ。入管は、キリスト教会から支援を受けていることが多いのね。私の友達が教会とつながりがあって、一緒に行ってみないかって誘ってくれたの。
長崎の入管が日本の中で一番劣悪って言われてるんだ。それで、11月に長崎に帰ってきてからも行ってみようと思って。教会の人に「この人ならフレンドリーだからお話できると思うよ」って紹介してもらった。以前入管で取材をしていた記者の方も面会に来ていて、また別の方を紹介してもらったこともあるよ。
ー入管って誰でも行けるものなの?
収容者の名前、性別、出身国がわかれば誰でも会いに行ける。でも、入管って「え…行っていいの?」って感じじゃん?もっとオープンな場所になるべきだと思うんだよね。たしかに、入管ってまだまだブラックボックスな部分がある。(人権の問題に抵触するため)国連からも長期収容に関して何度も勧告を受けてるしね。
ー入管にはどんな人がいるの?
入った理由は本当に様々。ビザが切れてオーバーステイになった人もいれば、自分の国での生活で命の危機を感じて逃げてきたけど、難民として認めてもらえなくて収容されている人もいる。ドラッグなどの軽犯罪で刑務所に入れられて、出所後に(一度犯罪を犯すとビザを取り上げられてしまうため)収容所に来た人とかもいる。
ー収容されずに強制帰国されることはないの?
本当は収容されている人は全員、強制帰国の対象なの。帰国しろって言われているけど、生活基盤が日本にある人とか、帰りたくない意志がある人たちが収容されてるんだよね。
ー収容されている人たちは、どんな生活をしているの?
海外の収容所は割とフレンドリーなんだけど、日本の収容所は刑務所みたいだってみんな言ってる。刑務所との違いをあげるなら、制服があるかないかと、期間が決まっているかいないかの2点だけって、ある収容者が言ってた(刑務所は期間が決まっていて制服があるが、入管は期間が決まっておらず、制服はない)。
インターネットも使えないし、公衆電話しか外の人とコミュニケーションを取る方法がない。だから入管にいる人と電話するときは、私からかけることはできないの。何時ごろ電話するねって事前に約束するんだ。いつも非通知設定とか、よくわからない番号からかかってきて、出てみたら「あ、入管からだった」ってわかる。(笑)
外国人を「管理する」日本政府
ー日本の移民制度が整っていないから、とりあえず収容しているの?
1990年代は、日本人の労働力が足りていなかったから、オーバーステイだと知りながら外国人を雇っていたケースが多かったのね。でも、入管の規制が突然厳しくなって、今まで見逃していた部分も取締るようになって。
国に返したいけど、その人たちの生活基盤は全て日本にあるから、帰りたくても帰れないし、帰ったとしてもどうすれば良いの?ってなってしまう。それで、ずっと日本にいる。
海外で「日本=フレンドリーで親切な国」というイメージがあったから、日本なら大丈夫だろうと思って、違法だと知りながら来日する人も実は多くて。長期収容という形にすることが、そういう外国人に対してある種の見せしめになるんだよね。だから長期間収容して、帰国を促す姿勢を取っているの。
仮放免(一時的に釈放すること)を出すのも、入管としては屈辱的なこと。国としても無理やり返すことはできないし、入管にもキャパがあるから、仕方なく仮放免を出すの。外国人を「管理する」という視点からしか見ていないんだろうな…。
こういう視点で見るようになったのも、実は戦後からのつながりがあって。
戦争直後は朝鮮人とか中国人が多くて、当時の日本人は彼らをすごく下に見ていた。彼らを昔の警察にあたる部署が「管理」していたんだけど、その名残が今も続いているんだと思う。
変えられるのは、主権を持つ日本国民だけ。
在日外国人に関するこの問題も、戦争や平和教育とつなげていきたいと思ってる。この問題を解決できるのは主権を持つ国民であって、日本の国民全員が向き合わなきゃいけない問題だと思ってる。
国連がいくら勧告したって、外からワーワー言うことしかできない。内側から変えていくには、選挙権をもった日本人一人一人が変えようとする意識を持たないといけない。入管に閉じ込められている外国人自身が変えられることはできないからね。
1ミリの努力の積み重ねが、社会を変えていく。
ー咲和ちゃんは、より多くの日本人がこういった問題について知ることで、社会は変わっていくと思う?
うん、変わっていくと思う。変わっていってほしいと思う。
スイスにいったときに、女性のエンパワメントの活動団体の代表の方が、「どんなに小さな石でも、池に投げたら波紋が広がるように、やりたいと言う気持ちがあれば、それをどんどん広げていくことができる。」という言葉をくれたの。
私たちは小石みたいなちっぽけな存在かもしれないけど、やりたいという気持ちさえ持ち続けていれば、何年かかったとしても、解決に近づけるんじゃないかなと思う。
人間一人が悩むだけで何か問題が解決するなら、いろいろな社会問題はすでに解決されてるはずじゃない?地道にやっていくしかない。私の力だけで、1ミリでも社会を変えられたら、いい方だと思う。その1ミリの努力がたくさん積み重なったら、大きな変化を起こせると思うから。
だからそれを信じて、自分が生きている間に何も解決できなかったとしても、少しでもよくできれば良いな、ってスタンスでいるよ。所詮はみんな同じ人間だもん。持ってるスキルが違うだけ。
「大きい主語から小さい主語へ」
ーこれから日本がもっとたくさんの移民を受け入れるようになったら、社会はどうなると思う?外国人に対してネガティブなイメージを持っている人もいると思うんだけど…
私がいつも大切にしているのは、「大きい主語から小さい主語へ」ということ。
例えば、入管にいる外国人のことを「収容者」って言われると、なんとなくマイナスなイメージを持つと思う。「犯罪を犯したから収容されてるんでしょ?」「帰れって言われてんのになんで帰らないの?」みたいな言葉をよくツイッターのリプ欄で見かけるんだよね。でも、そう言われている「収容者」は、私にとっては、顔が見える「〇〇さん」なの。自分の大切な友達がそう思われているのは悲しいことだし、実際に会って話してみたら、すごく良い人だっていうのはすぐにわかるから。
「大きい主語から小さい主語へ」の意識をみんなが持ったら、社会も変わっていくんじゃないかな。だから、「世界中に友達を作る」ってある意味正解だと思うんだよね。
例えば、北朝鮮に仲の良い友達がいたとする。北朝鮮がミサイルを日本に向けて打ったときに、北朝鮮という国家だけでなく、「北朝鮮人」毛嫌いすることはなくなると思う。友達の住む国だということで、その国に住む人々に対する印象もまただいぶ変わると思う。
そういう経験をしてこなかった大人たち、そういう視点を持たない大人たちが、今日本の中心にいる。グローバル化と言われて育ってきた私たちの世代なら、ちょっとずつ変えられるんじゃないかなって思う。
▲ガーナ人の友人たちと。彼ら活動支援のため、都内の駅で街頭募金活動も行っている。
何をするにも、原体験は必要ない。
ー咲和ちゃんは自分の使命というか、ミッションをすごく明確に持ってるよね。どうすれば見つかるのかな?
何をするにも、原体験は必要ないということ。
必ずしも「現地に行ってこれを見たからこういうことをしたい」っていう経験は必要じゃないと思うの。私だってこんなにいろいろ言ってるけど、実際に関わっている社会問題は1%にも満たないと思うし。すべてが何かの体験からスタートする必要はないと思ってるよ。自分がたまたま知った情報からその問題を解決したいという気持ちになったなら、それをきっかけに動いてみたらいいと思う!
たまたま出会ったものに対してどう向き合うかが大切。全員に原体験を強要してたら、せっかく生まれたやりたいという気持ちを潰してしまうと思うんだよね。やりたいっていう気持ちが芽生えたなら、そのまま突き進んで行ってほしい!!
社会に対して疑問を抱き、それを自ら改善しようと行動し続ける咲和さん。咲和さんの言葉が、みなさんの初めの一歩を踏み出すきっかけとなることを願っています。
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