【海外進学】やりたいことをやる—やりたいことの先にある新たな価値観と経験との出会い—

留学

今回の先輩大図鑑は、アメリカ・サンディエゴのグロスモントコミュニティカレッジに通い、現在休学中の関文子さんにインタビュー。

アメリカへの留学というやりたいことを実現させた文子さん。現地での新たな経験や出会い、そしてコロナ禍で思うことなどを存分に語ってくれました。

海外留学に興味がある人はもちろん、今後やりたいことに挑戦しようとしている人、これからやりたいことを見つけたい人も必読です!

アメリカ留学というやりたいことを見つけた

―海外進学も含めて海外に興味を持ったのはいつ頃かな?

中3の時に赴任してきた英語の先生がきっかけかな。今までの授業の日本人の先生とは違って、ネイティブのような発音を聞けたから自分も英語を話したいと思ったの。

それから、英会話教室に行き始めたんだ。個人の英会話教室だから、先生の家に行って英語でおしゃべりする感じ。その教室で出会う大人の人たちが全員海外留学経験者だとか、海外在住者ばかりだったの。その中にいた時にみんなかっこいいなと思って。

でも一番大きかったのは英会話の先生で、自分の性格や境遇とすごく似てたんだ。私はメンタル弱いし、落ち込むと沈みやすい部分があって。その先生のアメリカに行って自分の弱い部分とかが少し良くなったり、自分が変われたっていう話を聞いて自分もちょっとは変われるのかなって思ったのがアメリカに行きたいと思った理由かな。

 

―なるほど!ちなみに、高校在学中は日本の大学には進学しないと考えていたの?

高1の時は留学したいって軽い感じで言えたんだ。だから、留学したいという気持ちは強かったけれど、実際高3で部活を引退する・これからどうなるっていう時には正直周りの雰囲気に飲まれてしまったの。お金のこともあるし、自分の中の留学がただ行きたいっていう夢のような感じで全然現実味を帯びてなくて。本当に12月くらいまで日本の大学を受験しようとしていたの。

―でも、最終的には海外進学に決まったよね!そのきっかけは何かな?

先に私の友達が海外進学を決めていて、その友達を自分の英会話教室に連れて行ったんだ。その時に「アメリカ留学したいと思っているのに…」って、自分のことは諦めるくせにその友達を後押ししていることに気づいたの。

正直ずっと心の中では自分はこれでいいのかっていう気持ちがあって、遂に12月くらいにアメリカ留学したいっていう自分の本音が爆発したの。

それから、英会話の先生や親に話したんだ。その友達や先生とかに出会えていたから留学を決められたけれど、出会えている私でもギリギリまで渋っていたから、早くから自分のビジョンを固めて行動できる人はすごいと思う。

 

―留学を決めた時の周りの反応はどうだった?

担任の先生には「最初から分かってた」って言われた(笑)あとは、「海外の話をしている時の顔と他のことを話している時の顔が全然違う」って。

確かに海外や留学の話をしている時って多分すごい笑顔でウキウキしていたんだけど、日本の大学の受験勉強は全然上手くいっていなかったの。親も「最初から行けって言ってたやん」みたいに言っていて、周りは最初から気づいてたって感じかな。

 

―そうだったんだね!ちなみに、留学って事前の試験とかはあるよね?

実は、最初に入学した語学学校では英語の試験とか何もないの。お金を払ってビザを取得していればっていう感じだったから、その時はまだ試験の点数は必要なかったんだ。

だから、大使館に行ってビザを取ってから、すぐにアメリカに行ったの。実際に渡米するまでにはビザ取得や書類の準備とかやることが多かったから、忙しく過ごしてたかな。

やりたいこと実現

語学学校編

―いよいよ渡米して、最初の語学学校はどんな感じだったの?

3ヵ月間通って、その時期は本当に暇だった。大学と違って勉強することが英語のみで、授業も1時2時に終わるの。前半はスピーキングの授業で、後半はリーディングやライティングの授業を受けてそのまま終わりみたいな。

あとは、自分の中で節約を一番の目標にしたから、やることはあったんだろうけど、お金の掛かることは絶対したくなかったんだ。

他にも、飲酒とか日本では20歳からだけど、アメリカでは21歳からなの。現地に行ったのが18歳だったんだけど、周りがほぼ全員年上で遊ぶところっていえばバーとか。

アメリカでは規制が厳しくてパスポートみたいなちゃんとした身分証明がないとお店自体に入れない。だから、友達は出来てもがっつり輪に入れなかったんだ。一応アクティビティっていうのを学校が提供してくれて、週に何回かは安いものや無料のものには参加するようにしていたけど、時間が有り余ってた。

ちなみに住んでいたところは学校から5分ぐらいの留学生用アパートだったの。住んでいるのは全員留学生で、料理や洗濯などは自分でしていたかな。そのアパートから近くのスーパーまでが歩きで往復1時間ぐらい掛かるの。3日分くらい買って、その重い荷物を持って帰っての繰り返し。あとはできるだけ学校に居残って英語の勉強をしつつ、そんな感じの生活だったかな。

▲語学学校での写真撮影

 

―そうだったんだね…。ちなみに、語学面で苦労したことはあるのかな?

やっぱり、最初はネイティブの英語が速くて全然聞き取れなかった。注文の時が一番困ったかな。普通に嫌な顔されるし、なんなら私が訳分からないことを言っているのか笑われちゃって、その時はメンタルきたね。

でも、唯一救いだったのは留学生用アパートの人たちかな。みんな英語が第二外国語だから、そこでたくさん友達作って喋っている時は一番楽しかった。色々な人がごちゃ混ぜになっていて1フロアに100部屋ぐらいあったの。しかもシェアルームが多かったから、そこで韓国人とすごく仲良くなった。

▲留学生用アパートで韓国人と日本人でパーティーした時

 

―やっぱり語学面での苦労もあったんだね…。その後、語学学校を卒業して現在のコミュニティカレッジに移動したの?

そうなの。1月始まりと9月始まりのセメスターがあって、一応期限までにTOEFLのスコアを取って9月にコミュニティカレッジに入ることを目標にしていたんだ。結果、スコアも取れてグロスモントのコミュニティカレッジに入学したの。

コミュニティカレッジ…公立の2年制大学

コミュニティカレッジ編

―コミュニティカレッジ(以下:コミカレ)での生活はどうだったの?

さっぱり授業が分からなくて、さらに困難にぶつかったの。正直、語学学校時代がぬるま湯に浸かっていた感覚で、私が英語を話せないことを分かっている先生たちが相手にしてくれていたことに気づくくらいに。クラスメイトもネイティブだから、簡単な授業を受けていても全然何を言っているのか分からなかったの。

あと、友達も出来なかった。語学学校ではみんな留学生だったから、相手も友達を作りたくて仲良くなれる感じだったんだけど…。特に大きな行事があるわけでもなく、サークルは一応「International Club」に入って日本人とは仲良くなれたけど、ネイティブの友達は出来なかったんだ。

あとは外国語系の授業が必修だったんだけど、日本人なのに日本文化の授業を取ったの。その授業には日本好きのクラスメイトしかいなかったから、そこでは何人か友達は出来たかな。

 

そうだったんだね…、そういう環境下でどのように自分を奮い立たせてたの?

コロナ前のモチベーションはプレッシャーかな。大金払ってもらってアメリカまで来てやらせてもらえているんだから、ここで失敗しちゃいけない!っていうプレッシャーから、酷い生活を送っていたの。

まず、アメリカって面積が広くて車がないと生活出来ないんだ。学校までトロリー(バスのようなもの)・電車・徒歩の全てを使って安く行こうとすると、車で15分なのになぜか1時間半から2時間掛かるの。

だから、朝は5時6時に起きて2時間掛けて学校に行ってた。授業が終わってからも学校の図書館が閉館するまで残って、帰宅したら11時くらい。それから自炊・洗濯とかをやって1時2時ぐらいに寝て、また朝起きるっていうのを繰り返していたんだ。すごくしんどかった。

 

―想像を絶する…。コミカレの時もアパートみたいなところに住んでいたの?

その時は、語学学校時代のスタッフさん(韓国人カップル)の家に住まわせてもらってたの。みんなにはどこに住んでいるの?って聞かれたら、ホストファミリーと一緒に住んでいるよって答えていたけど、食事とかは別でただ部屋を借りてるだけだったんだ。

ちなみにそのカップルはちょっと複雑で、ケリー(女性)はアメリカ生まれの韓国育ちで、大学からまたアメリカに戻ったアメリカ人。旦那さんは、韓国生まれで高校からアメリカに移住して今はアメリカ国籍を持っているの。

 

―そのカップルのところに長くお世話になっているのかな?

うん、でも2020年の途中からはみんなが思い描くホストファミリーの人たちと暮らし始めたの。今は日本に帰国しているけど、コロナの時はそこでずっと過ごしていたんだ。

 

―そのホストファミリーはどんな感じだったの?

そのホストファミリーもちょっと特殊なんだ。2020年の1月から学校が始まって、そのタイミングでバドミントンチームに入ったの。偶然にもそのチームの顧問の先生もコーチも日本人だったんだ。だから、チームに入ったのをきっかけにそのコーチの家に住まわせてもらってた。

旦那さん(アメリカ人)と子どもさんは日本語を理解出来ても全然話さないっていう家庭だったから、英語もたくさん話せる環境になった。すごく優しい人たちで、ご飯は日本食っぽいものが出る時もあったかな。あとは、娘さんとお母さんがバドミントンをやっていたから、やる時に一緒に連れて行ってもらえてたりしてすごく良い生活環境だった。

 

ちなみに、文子ちゃんはバドミントンがすごく上手くて、高校時代には大会に出れば毎回表彰されるような強いプレーヤーでした!

▲コミカレのバドミントンチーム

 

―ここまでの留学生活で特に印象的な出来事はあったかな?

たくさんあるけど、カルチャーショックだったのは自由さかな。アメリカに着いた初日にコンビニに行ったのね。行ったら、店員さんが店のジュースを飲んでイヤホンして何かを鑑賞しながら、「Hi!」って声を掛けてきたの(笑)日本では店員さんがそんなことをするなんて考えられないことだったから、衝撃だった。

でも良いなって思ったのは、絶対にみんな話し掛けてくれるところかな。日本の店員さんって機械的な感じだよね。私がよく行っていたコンビニの店員さんもずっと話し掛けてくるの。「今日の服可愛いじゃん!」みたいな、友達のようなテンションで話し掛けてくる(笑)

アメリカ人の働き方や考え方を知って、なぜアメリカが自由の国と呼ばれているのかが理解できた。みんな自分がやりたいことをやるけど、そのやりたいことをやっている人を周りは気にしない分、責任も取らないみたいな。日本とは全然違っていたからすごく面白いと思った。

 

―そういうの新しい考え方だよね!

でも、日本にない自由な雰囲気が良かった反面、日本人の持っているモラルやマナーが通じないこともあったり、笑いのツボが合わなくてアメリカ嫌いになりかけたこともあったの。

だけど、それらを乗り越えて色々な細かいところも知れば知るほど、アメリカ良いなって思うようになったの。語学学校時代にインターンシップに行ったんだけど、それも良い経験になった。日本だとノルマをこなさないと残業みたいな慣習があるけど、アメリカには全然なくて飲み会の概念もないの。

 

―そうなんだね!ちなみに印象的な人との出会いはあったのかな?

一緒に住まわせてもらっていた語学学校のスタッフさんかな。ケリーはアメリカ生まれの韓国育ちで大学からアメリカにいる感じだから、形としては私と同じだったんだ。だから、すごく色々理解してくれた。

でも、考え方はアメリカよりだったの。勉強を遅くまでやったり徹夜していたら、その頑張りを褒めながらも、もうちょっとこういう考え方でもいいんじゃないかってアドバイスしてくれたの。そのアドバイスとか違う目線で話聞いてくれたことが勉強しなきゃっていう私の考えを揉みほぐしてくれたかな。

 

―あと個人的に気になっていたことがあって、色々なところに出掛けたりはしたのかな?

外に出掛ける時は友達から誘われてが多かったかな。あとは、学校のアクティビティにはほぼ行くようにしていた。旅行には何回か行ったけど、ほぼ自力で友達と行くことが多かったの。

やっぱり、グランドキャニオンの行けたのは一番大きかった。元々世界遺産とか歴史系が好きなんだ。将来の夢っていうとなりたい職業のイメージだけど、私は正直なりたい職業はないけど、やりたいことはあって世界遺産を巡りたいと思っているの。だから、夢が1つ叶った。グランドキャニオンを見てから世界の見方が変わったの

 

―どういう風に見方が変わったの?

普通にふと街中を見ると、自然ってあまりないよね。マンションと舗装された道、ガードレールって全部人間の手で作れらたもの。グランドキャニオンを見てから、ふとした時に人間って怖いなって思う。人間が作ったものだらけの環境にいて、もっと自然のあるところに行きたいって思うようになったかな。

▲グランドキャニオンを訪れた時

 

―なるほど!他にも自分にとって印象的なことはあったのかな?

私が友達になった人でビジネスを始めた人が多かったんだ。日本だと、大学生は高校を卒業して入学した人、卒業したら新入社員っていう何となくレールが出来ているよね。

アメリカにはそういう概念がないのか、クラスメイトにおじいちゃんや日本でいう社会人もたくさんいたの。そういう人たちは、ちょっと働いてまた勉強したくなったとか、ビジネスやりながらも勉強したいっていう人だったんだ。

彼らの話を聞いて、私も最初は早く卒業して就職しなきゃっていう固定概念があったんだけど、その考えが取っ払われたの。みんなが色々な話を聞かせてくれたから、こうしなきゃいけないっていう生き方ってやっぱりないんだなって思えてすごく助かった。

それまでの自分はプレッシャーだけだったから…。みんなが自分の本当にやりたいことをやっている姿を見て、自分もそれでいいんだって思ったんだ。

 

―その話、すごく心に響いてる…。

帰国してからも英会話の先生が「もしここでアメリカ留学を中断してどんな道を選んでもまた勉強したくなったら大学にまた行けばいい」とか、「こうしなきゃいけないっていう考えはない」って言ってくれたの。すごく楽になった。

コロナ禍とやりたいことの狭間で

―現在はコロナで休学中だけど、留学中に軸にしていたことはあったの?

最初はあったの。とりあえず勉強だけは頑張るって思っていたんだけど、やっぱり考えはすぐに変わってしまうもの。アメリカに行って自分の性格や考え方が180度変わったんだ

あとは、コロナの状況もあって。このコロナ禍で私自身がすごくダメになってしまった。最初はモチベーション高くて成績もオールAを取って、それが私のプライドだったの。

でも、コロナで自分のやる気が失われていって1つ授業を落としてしまったんだ。その時に全部が吹っ切れて、とりあえず帰国しようってなって今に至るかな。でも、今でも考えていることはやっぱり自分の人生だから自分の好きなようにやろうっていうことかな。

 

―やっぱりコロナで大打撃だね…。

本当に辛かった。やっぱり留学って1年目よりも2年目の方が楽しいと思うの。車の免許も取りたいと思っていたし、車も買おうと思っていたし…。旅行も行きたいところたくさんあったし、バドミントンチームでの活動もとても楽しかった。

そのバドミントンチームでチャンピオンシップに出て優勝したら奨学金がもらえるかもしれないっていう話もあったんだ。だから、毎日朝7時くらいから学校に行って2時間練習してたの。「チャンピオンになる!」って思って頑張っていたから、自分の楽しみをすべて奪われた感じだった。

それからは、勉強も手に付かなくなって部屋に引きこもってたの。帰国までの2ヵ月3ヵ月はその状態でホストファミリーに心配されていたかな。

 

―帰国するという決断は自分の意思だったの?

親とも話して休んだ方が良いってなったの。コロナ禍でもギリギリまで頑張ろうと決めたんだけど、12月にロックダウンがまた始まって帰国したんだ。今は、授業は何も取っていないの。これからのことは、留学を中断して就職、日本の大学に入る、とりあえずコミカレは卒業するみたいな感じで色々な案が出てる。今は、これからどうしようかなって考えている最中かな。

 

―自分の中ではまだ答えは決まってないってことかな?

全然。でも、1つ確かなのはアメリカに戻りたい欲は減ったかな。コロナ禍で孤独感が強かったんだ。今は、自分のやりたいことって何なんだろうってすごく考えている

 

―そっか…。そもそも描いていたビジョンはあったのかな?

この秋からアメリカの4年制大学に行けると思っていたの。その大学に入るっていう目標があったから、辛い生活や勉強も頑張れたんだ。思い描くキャンパスライフもあって、もちろん勉強はさらに辛いだろうけど、それが私の留学のイメージだった。

卒業後のことは全然考えていなかったんだ。周りから就職のこと(日本かアメリカか)を聞かれても、やっぱりその時自分がやりたい方を選ぶかな。こうしなきゃっていうテンプレートに当てはめる考え方はとりあえず1回置いて、もっとフレキシブルに考えられたらなって思ってる。だから、あんまり卒業後のビジョンとかはないかもしれない。

 

ー留学全体を通しての最終目標はあったの?

留学しながら見つけられるかなって思ってたの。だから、将来のなりたい職業はないけど、やりたいことはいっぱいあるんだ。行きたいところがたくさんあるの。色々な国に行くと仮定したときに英語は役に立つと思ってたし、語学理由でアメリカ行ったんだ。

だから、私の中ではコミュニケーションツールとしての英語を学びたい、それ以外のなりたい職業とかはその過程で見つけられたらなって考えてる。とにかく、これから色々な世界・国を見たいっていうのはある。

最後に

ーこれからやりたいことに挑戦したい人・やりたいことを見つけたい人にメッセージをお願いします!

アメリカでの受け売りだけど、別に何歳とか、大学生だからとか、もう就職しなきゃとか色々日本で暮らしてるとこれが普通だからっていうテンプレがあると思う。

でも、そういうテンプレって自分が気にしなかったらあるようでないようなもの。誰が何を言ったとしてもそれが法律なわけではなく、ただ周りが思ってるっていう存在しないもの。自分の人生は自分次第だから、やりたいことやってくれたらいいなと思います!私はそれでアメリカに行きました!

いかがだったでしょうか? 

筆者も高校の同級生にインタビューをしている中で、辛い経験も乗り越えながら常にやりたいこと・好きなことをやるという文子さんの信念に感化されました。

読者の皆さんも、やりたいことが明確になかったとして興味があることに一歩踏み出してみたら新たな発見・経験に出会えるかもしれません。このインタビューが皆さんの一歩を踏み出すきっかけになりますように。

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