【課外活動】人との出会い、繋がりを大切に。夢を追いながらも大好きな和太鼓にも打ち込む大学生。

部活

今回の先輩大図鑑は九州の看護大学に通うはづきさんにインタビューを行いました。高校時代のある経験から看護の道を志したはづきさん。多くの挫折を経験しながらも、幼少期から続ける和太鼓、そして夢に向かって走り続けている彼女にその思いを語っていただきました。コロナウイルスで自分の夢を諦めかけている方、挫折を経験している方、そんな方々に読んでいただきたい記事となっています!

人を笑顔にしたい、和太鼓の経験から生まれた夢

夢を持つきっかけ

ーまずはじめに、看護の仕事に進みたいなって考え始めたきっかけはあった?

看護の仕事に進みたいなって思う前は、和太鼓を幼少期からずっとやってたこともあって、人を笑顔にしたり、人を楽しませる仕事をしたいと思ってたの。でも、そういう人を楽しませたり、笑顔にする仕事って幅が広いじゃん?看護師も人を助けるって言う点で笑顔にすることはできるけど、その時点では明確には決めることができていなくて。

でも、看護師を目指す!って決めた転機が自分にはあって。それが、高校2年生の夏に和太鼓の演奏中に熱中症で倒れてしまったこと。自分の記憶はそこで途切れてしまったけど、後から親に聞いたのは、お客さんとして見ていてくれた元看護師の方の応急処置で自分が助けてもらったっていうこと。そして、運ばれた病院での看護師さんの私に対しての優しい、安心させてくれるような対応。そこで、私は看護師になりたいって考え始めたかな。

それまでは、笑顔にする仕事って言って、一番に浮かんでくるものが看護師ではなかったけどその経験があってから、自分も看護師になって、入院している患者さんたちを笑顔にして、退院まで見守りたいなって思うようになったよ。

あと、高校生の時に校内の探究活動で、「どんな未来を描きたいか」っていう大きなテーマが与えられて、そこで私は「人の命を救う最新医療技術」について調べていたんだ。その時に感じたのは、最新の医療技術で患者さんの身体を救うことができても患者さんの不安な気持ちは救えない。そんな不安な気持ちを救えるのは、治療目標を共有し、いつも患者さんの身になってそばで一緒に歩んでくれる看護師であり、その存在は絶対必要だということ。看護師になりたいなっていう目標自体は持ってたけど、この探究活動でどんな看護師になりたいかっていう理想の看護師像が見えてきたかなって思う。

そして、その年の春休みに病院で看護師体験ができるプログラムに参加して、それも看護師への気持ちを大きくする経験の1つになったよ。

初めて経験する大きな挫折

ーそれで看護師になりたくて看護の大学を目指し始めたんだね。

そう!それでとりあえず、いろんな看護の大学を調べて、ここがいい!と思ったところを受験したんだけど、第1志望の大学には落ちてしまって。落ちてしまった時はもうどうすればいいのかわからなくなって。同じクラスの友達も看護系の学校だったり、他の大学だったり、続々と行く大学が決まっていく中、自分は最後まで受験して結果を待たないといけない。不安感に押しつぶされそうになった記憶がある。

 

ーはづきとは同じクラスで一緒にいる時間も誰よりも長かったからこそ、頑張ってるの知ってたから、なんて声をかければいいのか私もわからなかったよ。でも、すぐ気持ちを切り替えて、また勉強再開できてたよね。どんな風に切り替えたのかな?

ほんとびっくりするくらい、周りがみんな受かって自分だけが落ちてしまったから、めっちゃ落ち込んでその日は部屋に閉じこもってたんだ。でも、その次の日が休みで、お母さんが外にご飯を食べに連れ出してくれたんだよね。これが切り替え方のいい例なのかはわからないし、人それぞれなんだけど、その日に髪をバッサリ切って、物理的に切り替えてみたかな。

 

ー受験に落ちたことで気づいたこと、そこから今につながっていることとかはあるかな?

自分の勉強の仕方が高校時代は間違っていたってことに気づいた。高校時代はとりあえずテストこなすために暗記をひたすらしてたけど、やっぱり、「なんでこんな答えになるのか」どの教科にしてもしっかり道筋を理解しないといけないなと思った。大学での看護の勉強はめちゃくちゃ難しい!でも、その勉強の仕方は今の自分のためになっている気がするよ。

東日本でのボランティアで

▲東日本のボランティアで撮った写真①

ー災害看護師を今目指してるけど、なんで災害看護師を目指しているの?

元々、災害看護師にドラマの影響で少しだけ興味があったんだけど、目指したいと思ったきっかけは大学のプログラムの1つで行った東日本のボランティア。今通っている大学を受験した理由の1つにこの東日本大震災で被害を受けた地域に行くボランティアもあって。1年生で早速参加した。

現地に行くとかなりの衝撃を受けたね。現地に行かないとわからないことが沢山あった。思った以上にまだ、震災の爪痕が残ってた。そして、目の前で波に飲まれていくのを見てしまったっていう被災者の方の話を聞いて、自分は怖くて震えてしまった。そこで考えさせられたのは、1分1秒が勝負となるそういう災害の現場でまだ命がある方々を助けたいなと思った。知識も技術はもちろんだけど、やっぱり判断力が災害の現場では特に大切だなっていうことを学んだ。

▲東日本のボランティアで撮った写真②

あと、東日本大震災の被災地ボランティアで地元の人々と関わって、元気に遊び回る子供達、お仕事に一生懸命な地域の方々の前向きな姿には感銘を受けたな。その中で、ある人に「これから看護師になる上でいろんな壁にぶつかると思うけど、それを乗り越えて頑張りなさい」って力強い言葉ももらって逆に自分自身が元気づけられた!

このボランティアでの経験があってこそ、災害看護師になりたいって思う気持ちが強くなったよ。

大好きな和太鼓と夢の両立

大好きなことだから頑張れる

▲プロの和太鼓チームでの公演

ー看護大学って学ぶことも多くて実習もあるから大変だと思う。はづきはファミレスでアルバイトも、プロの和太鼓グループにも入っているよね。

プロの和太鼓グループに入って活動することになったのは、長崎で和太鼓をしていた時に年に数回、福岡から指導に来てくださった先生がいたのだけど、偶然にも、進学する大学の地域にその先生がいらっしゃって、それで先生のところに挨拶に伺って、太鼓を続けたいって気持ちを伝えたら、「一緒に太鼓しないか?」って誘われたのがきっかけかな。

5歳から続けてきた和太鼓を、自分の憧れていたプロの和太鼓グループで叩ける夢のような話に「是非やりたいです」って返事をしました!今はコロナ禍で色々な行事が中止になり活動がほとんどできてないけど、イベントやコンサートに出演しているよ。何度か見に行ったコンサートの舞台、憧れのプロ和太鼓からのお誘いを受けたときは、とても驚いたし信じられなかったけど、すごくすごく嬉しかった!

 

ープロの和太鼓グループにスカウトされたってことだね。でも大変じゃない?

正直言って勉強も難しいし、バイトもファミレスだから動かないといけないし、太鼓も新しい楽曲が与えられたら、曲を覚え、打ち込み練習をしないとならないから大変。きついよ?でも勉強は自分がなりたいものになるためにやるべきことだし、太鼓も自分の好きなことだから、別に苦ではないかな。

それに、私には、太鼓のメンバーやバイト先の人、大学の友達など、私を支えてくれる人たちがたくさんいる。だから、自分は頑張れていると思うよ!これが、1人だったら、多分耐えられてない。自分を支え、応援してくれている全ての人に本当に感謝しているよ。

コロナ禍だからこそ、準備をすることが大切

ー最後にコロナ禍でやりたいことが思うようにできなかったり、不安に駆られている人に伝えたいことはなんですか?

コロナ禍だからこそ、自分の興味を深く知ることができる機会が増えたんじゃないかと思う。もし、やりたいことがあるなら、コロナが終わって、多くの体験ができるようにいろんなことを調べおくことが大切なんじゃないかと私は考えてる!

まだ、やりたいことが何もないっていう人たちはボランティアだったり何か経験することをお勧めしたい!その経験が自分の興味につながったりする場合もあると思う!自分も高校時代にいったボランティアだったり、看護体験、大学時代に行った東日本大震災の被災地ボランティアで視野も興味も大きく広がったから。あと、そういう場で人と関わることでコミュニケーション能力も上がることがあるかもしれない!だから、諦めずに頑張って欲しいなと思う。

・はづきさんの所属するプロの和太鼓のアトリエスカイ

・演奏の様子はこちらのチャンネルでご視聴いただけます!

いかがだったでしょうか?

今回は高校時代から夢に向かって頑張っている友人にインタビューしました。高校時代彼女と一緒にいることが多かった筆者ですが、彼女の真剣な夢の話、考えを聞くのは初めてだったため、すごく心に響きました。医療に進む方々はこれから大変になっていくとは思うので、彼女を心配していましたが、インタビューから彼女の看護師になるという強い意志は高校時代から変わっていないことがわかりました。そんな看護師に対して熱い思いを抱いている彼女は人を助け、笑顔にしてくれる素敵な看護師になってくれるだろうと思います。

この記事がコロナ禍で不安になっている人、やりたいことがある人を始め、多くの大学生の「手がかり」となりますように。

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