今回の先輩大図鑑は、リベラルアーツ、中でも国際関係を専攻する大学4年の星那(せいな)さんにインタビューさせていただきました。
星那さんは、社会科の教員になりたいという夢を実現させるためにリベラルアーツを学べる大学に進学し、超多忙な大学1.2年生期を過ごしました。
しかし、2019年8月の韓国への渡航をきっかけに研究職を目指すようになり、現在は韓国留学の真っ只中。
彼女の人生のターニングポイントとなった出来事とは?!
彼女が描く人生の紆余曲折に触れることで、「心の赴くままに」生きることの素晴らしさに出会える記事となっています。
ぜひ最後までご覧ください。
将来の夢は「社会科の先生」と「『良い』有権者」
「先生になりたい」という夢
▲高校時代の写真。文化祭実行委員の幹部でした
ー星那はもともと今通っている大学は第一志望校ではなかったよね。
そう。でも自分の職業的な夢は「社会科の先生になること」で、その夢の実現のために大学生活を送ろうという強い気持ちを持っていたから、今の大学に入学することには自分なりに納得していたよ。実は自分にはもう一つ大切にしている夢があって。
「良い」有権者になりたいという夢
自分はずっと「良い」有権者になりたいという夢を持っているの。「良い」有権者になることは人間社会で生きる上で大切なことだと思っていて、その夢の実現のために大学では教養学部的な学びができる場所を求めていたこともあって、今の大学への進学を選んだよ。
ー星那にとって「良い」有権者の定義ってどんなものなのかな?
自分もまだ模索している途中ではある。月並みだけれど、正しく情報を使うこと、良い権利の行使の仕方を常に学び続ける姿勢を持った人になることだと思っている。政治は政治家だけがやるものではなく生きることを組織すること。自分や家族、友達など、周りの人がより良く生きるためにはどうしたらいいかを考えられる教養を身に付けた人が「良い」有権者に当てはまると考えているよ。
2つの夢を抱いた原体験
ー星那はいつからこの2つの夢を抱いていたのかな?
まず「先生になりたい」という夢は、小学2年生ごろから抱いていたかな。当時の先生に対して強く憧れがあったの。だから「先生になりたい」という思いは私にとって当たり前のものになっていた。
この先生になるという夢に加えて、「良い」有権者になりたいという夢を抱いたのは、高校生の頃。自分が高校3年生の時が、選挙法改正によって、18歳から選挙権を持てるようになった年で、自分も社会の中に生きる一人なんだって自覚したの。その時はまだ政治や社会に関して何も知識がなかったからその権利を正しく行使できたとは思っていない。
でも、正しく権利を行使したいという気持ちはあった。こういう経験もあって、社会科目を学んでいる時が一番楽しかったし、なにより歴史や社会の動きに対して「なぜそうなったのか」を考えることが好きだったの。
だから高校生の時には「社会科の先生になって『良い』有権者を育てられる人になりたい」という夢が固まっていった。こういう自分の人生の過程を経る中で、漠然とした思いがだんだんと意味づけされていった。
超多忙な大学1.2年生の頃の生活
授業はほぼ毎日フルコマ
ー星那は、通常の授業に加えて教職過程を履修していたよね。超多忙な大学生活だったと思う…。
そうだね…。大学1.2年生の時は、平日は1~5限までほぼ毎日授業を受けていたよ。教育学部ではなかったから、自分の学科の授業に加えて教職の授業を履修していたから毎日授業がびっしり入っていた。
ーそんなに!毎日ほぼフルコマ授業があって、大変だったよね…。
政治、社会学、教養とか、自分のやりたいことが学べていたから、もちろん授業は全てしっかりと出ていたよ!授業受けて、部活やって…という高校生の生活の延長みたいな感じだった(笑)
▲授業のメモ
大学の中にも社会の「縮図」が存在する
ー星那はまじめに授業を受けたいと思って努力していたと思うけれど、中にはまじめに授業に取り組まない学生もいたと思う。そういうとき、星那はどうやってそのような学生と接していたの?
私はいつもこれこそが社会だと思って受け入れていたよ。勉強だけが頑張ることの対象ではない。その子にはその子なりの頑張りたいことが他にあるんだと思って尊重するよ。だって、全員に選挙に興味を持つのが難しいのと一緒で、一人一人に自由な考え方があってあたりまえ。そう思っているよ!
学問に触れて初めて人に寛容になれるようになった
ー高校の頃に感じていた漠然とした自分と、大学に入ってからの自分への理解はだいぶ変わったのかな?
全然違うね…!好きなことを勉強するという、やってることは同じであっても、学問に触れてみて、考え方を学ぶことができたり、知識を付けたことで今まで分からなかったことが分かるようになったからこそ、他人に対して寛容になれる自分を持つことができるようになってきたと思う。知識を持つと「関心」を持つことができるようになると思う。
実はミュージカル俳優を目指していた?!
▲ミュージカルCATSのMemoryを歌いました!
私実は当時、ミュージカル俳優も目指していて…。土曜日はミュージカル、日曜日はオペラのレッスンを受けていたの。平日に授業とアルバイトに明け暮れて、土日は全てレッスンや大会があったの。
ーミュージカル俳優と先生は全く畑違いの職業だよね…!?どうして2つを目指そうとしていたのかな?
ミュージカルは自分が第一線に立つイメージは持っていなくて、ただ好きだからやっていた。先生という軸があって、もう一つ自分が好きだと思えることを続けることもいいなって思っていたの。やりたいことを捨てるって自分を捨てることだと思うし。そういう人生は嫌だなって思ってミュージカルも続けていたよ。
ー就職や将来のことを考えると、途端に選択肢を一つに絞らないといけないという考え方があるけれど、星那みたいに自分の好きなことをいろんな形で続けることはできるよね!ぜひこういう将来の考え方も広がるといいな。
人生を変えた2019年8月14日
ゼミ合宿で初めて韓国を訪れる
▲【2019.8.15】ソウルの主要部にあちこちこのような幕があった。
ー星那は大学3年生の夏休みで人生のターニングポイントが訪れたって言っていたね。まずゼミ合宿では具体的にどんなことを経験したのかな?
合宿は3日で、ソウル大学の学生と日韓関係についてのディスカッションを行ったり、南北境界線付近の施設に訪れたり、ソウルのK-Popの施設の見学をしたよ。これは全てゼミの先生が企画してくださったものだったよ。
合宿前に一足先に一人で韓国に渡った8月14日
ー星那のターニングポイントになったのは、2019年8月14日~15日にかけての出来事だったよね。
2019年8月14日は水曜日。「水曜集会」という、慰安婦問題の被害者や慰安婦問題に関心がある人達が集まる小規模の集会が毎週水曜日にあるの。2019年は歴史的にも日韓関係が最悪だと言われた状態であったこと、そしてその翌日の8月15日は日本にとっては終戦日だけれど、韓国にとっては光復節(独立記念日)なのね。それもあって、その集会には700人(推定)くらいの人が日本大使館の前に集まっていたところを現地で見たの。
▲【2019.8.14】日本大使館前にて水曜集会(これはこの日だけ特別。普段は数人程度)
翌日の8月15日は、光化門(韓国においてデモや集会をする中心的な場所)にも訪れて、人生で初めてものすごい人の集会を一つじゃなくていくつも目の当たりにした。本来は光福節はお祭りみたいな雰囲気で行われるんだけれど、2019年は日韓関係の悪化もあって、街中「NO安倍」の張り紙に溢れていた。
▲【2019.8.15】光化門のローソク集会のようす。人々の熱気を感じた。
その2019年の8月14日、8月15日の現場の韓国を見たことで、人の力を感じたの。今まで勉強してきた政治と人の関係をありありと感じた。確かにこの出来事は切り取られた一部でしかないということは十分理解した上であっても、頭で理解していたことが目の前の現実として立ち上がった瞬間、衝撃が走った。これが自分にとってのターニングポイントになったよ。
「簡単に理解しようとするな」というゼミの先生の教え
ーその現実を目の当たりにしたときに、星那の人生をどう変えていったのかな?
もっと勉強したいって思った。卒論のテーマにするという短期的なスパンでの学びではなく、もっともっと長期的なスパンで学びたいと思ったの。この出来事に直面したことで、到底学部4年間で理解できることではないと悟ったし、何よりこの学びに対して妥協したくないって思った。
この長期戦を覚悟したとき、ゼミの先生の「簡単に理解しようとするな」という言葉を思い出した。
▲【2019.8.15】光化門にて。
ー星那にとってゼミの先生との出会いも一つのターニングポイントになっていると思う。ゼミの先生は星那にどういう影響を与えてくださっているのかな?
まず、すごく冷静。自分は結構ものごとを見るときに感情的になってしまうタイプなの。対して先生はどんな現実を目の前にしても、学問的に冷静にそれを捉えることができる方なの。そして人格者なの。大学の教授って自分の研究が第一であるのがあたりまえだし、学生に対してそこまで手厚く学びをサポートしてくださることってあまりないと思う。
でも先生は私に対して一人の学生として真摯に向き合ってくださるし、すべてが丁寧。先生の姿がかっこいいと思っている。だから自分は先生みたいな人になりたいなっていう憧れを抱いているよ。
「研究職になりたい」という大きな夢を目指して
今の夢は研究職になること
ー星那は大学3年生の頃の経験をきっかけに、「学校の先生」という夢から「研究職」という夢を追いかけるようになったよね。
夢のまた夢ではあるけれど、今は研究職を目指したいと思っている。ペン1本で世の中を変えられる可能性があって夢のある仕事だなって思って。自分が書いた論文1つで、救われる誰かがいたり、社会の中で「生きづらさ」を感じている人の助けになれるかもしれない。他人事ではなく、自分事として学ぶことで、いつか社会を変える原動力になれればいいなって考えているよ。
ー星那はどんな分野の研究をしていきたいと考えているのかな?
卒論では、韓国の民主主義について考えていきたいと思っているよ。一般の人が政府の決定に対してどのくらい関与できるのかなという問題意識を持っているよ。簡単にいえば、「人々が発信する政治への訴えは国の政策や考え方をどの程度動かすことができるのか」。私はこの社会で生きづらさを感じる人のために声を上げる人に対して見て見ぬ振りをしたくない。そういう思いも持ちながら研究しているよ。
▲【2019.8.15】天安(チョナン)の独立記念館にて。人が集まって踊ったり歌ったりしていた。
夢を抱くときに逃れられない「不安」と「葛藤」
ー研究職を目指したり、長期的に勉強し続けていかなければ答えにたどり着けないという中での生活で、不安になったりくじけそうになることはなかった?
ずっと不安だね――。
研究にもお金が必要だし、結果が出るかもわからない。今は学生だからまだそんなに心配はなく生活できるけれど、この先もっと不安になったり辛い現実が待ち受けているかもしれない。自分が知識をつけて頑張り続けるしかない。研究業でご飯を食べていくには自分の研究によって生み出された新しい学問的見地をこの社会にどう還元するかという「需要」を生み出していかないといけない。未熟さを感じる度に、焦りや不安を感じる。だから教員免許の取得を辞められなかったということもあった。
▲【2019.8.15】日本大使館前にて周りをうろうろしてたら韓国の人だと間違えられて韓国語で話しかけられた。写真撮りましょうか?って言われて、携帯を渡したら日本の人ってバレた?んだけどすごく優しくてしてくれた。
「不安」の埋め合わせのために夢への妥協を考える
ーもともとは「社会科の先生になりたい」という夢を抱いていたけれど、研究職に就きたいという夢に変わっていったよね。星那は教員採用試験を受検する予定で勉強していたようだけれど…。
そうなの。大学3年の冬(2020年2月頃)にコロナが世界中で流行してしまったことで、大学4年生から予定していた韓国への留学が無くなってしまうかもと思って、教員採用試験の勉強をしたの。でも今の自分のやりたいことは先生になることじゃなくて、研究職を目指して勉強すること。
自分が大切にしている「心の赴くままに」ということと完全に矛盾している状態が続いてしまって苦しかった。教員採用試験を受けようと思ったのも、コロナでこの先どうなるかわからない中で少しでも「安定」を求めようとしたから。親も教員採用試験を受けると言ったときにとても安心して喜んでくれていたの。
先生になることは、今自分が抱えている「不安」を全て解消するものだった。でもずっと違うなって思っていた。夢を捨てるっていうことはこういうことかって。
▲【2019.8.15】光化門広場の周りの様子
「夢への妥協」が気づかせてくれた自分の本心
でもこの経験が、自分の本心に気づくきっかけになったよ。最終的に私は教員採用試験を受検しないという選択をした。やっぱり自分の気持ちに正直になれない状態で妥協するのはダメだと思ったから。夢は研究職に就いて、自分の名前で本を出すこと。自分が生み出した知識を使って誰かの支えになれたらと思っている。自分は知識を作る側の人間になりたいなって思う。
コロナ禍留学を決行
今自分に一番必要なものを手にするために
ー星那は今韓国で語学留学をしているよね。それはどういう理由があったのかな?
自分が研究職に就く上で一番足りないのが「語学力」なの。韓国語ができないと論文・文献は読めないし、論文も書けない。私は研究者になると決断するまで韓国語が必要だと思ったことがなくて、0から勉強を始めないといけなかった。だからこの留学は、研究においてプラスになる留学ではなくて、むしろマイナスを埋めるっていう焦燥感に駆られた留学なの。夢のためにまずは時間が欲しいということと、自分の一番のコンプレックスを克服するためになんとしてでも現地で韓国語を学びたいという思いを持って今留学している。
▲【2019.8.31】国際関係にまつわるコンペにも参加。
現地での語学の授業
ー実際に現地ではどんな生活をしてるのかな?
平日の午前中4時間はオンラインで韓国語の授業を受けていて、午後は午前の授業の課題と卒論のための準備や、文献調査とかを進める時間にしているよ。留学を決心してから必死で韓国語の基礎を勉強したこともあって、外出ができるようになった1週間で超韓国語が話せるようになった(笑)
レベル別クラスも飛び級させてもらったり、今自分がいるレベルの9クラスのうち、テストの成績は1番だって先生に教えてもらってモチベーションも保てている。でも自分の目標がクラスで1位をとることじゃなくて、韓国語の論文を読めるようにしたり、韓国語を使えるようにすることにあるから、まだまだ上のクラスを目指して頑張りたいと思っているよ!
ー努力の仕方が圧倒的に違くてとても驚いている…。
コロナ禍留学でもメリットはある
ーコロナ禍の留学だと、本来の留学生活を送ることは難しいと思うのだけれど、実際のところ、どうなのかな?
確かに、外出はあまりできないし、友達と遊ぶこともほとんどない。でもその代わり、語学にどっぷり浸って勉強する時間が得られる。これは自分の留学の目的に合致していて理想が叶っていると思う。コロナということもあって、政治の影響力や存在が大きいよね。政治を学んでいる身としては、今しか見れない韓国の社会の動きを実感を持って見られていることはとてもプラスになっていると思っているよ!こういう状態だからこそ韓国社会は政治をどう動かすのかということを見る機会にもなっているかな。
ーそうなんだ。留学の目的をしっかりと持って現地に行くことで、コロナの状況でも得ることは多いっていうことに気づけた。
▲【2021.1.25】光化門の近くを通るときは必ず光化門を散歩しちゃう!光化門好きすぎて自撮りした。
最後に。
ー紆余曲折を経て今の星那がいると思うのだけれど、コロナで自分の夢や目標を諦めかけてしまっている学生にたいして、星那だったらなんと声をかけてあげるかな。
もし自分の目の前に夢を諦めかけてしまっている子がいたら、夢を諦める前に、なんでその夢を抱いたのか、その夢を実現させることで何を得たいのかを聞いてあげるかな。もしその子の本当の気持ちに近づけるものがあるなら、一緒に探すし、答えが出るまで一緒に待つ。私も一度は安定を求めて夢を諦めかけた。でもいつでも私は「心の赴く向きはどこなのか」を考え続けていたいな。
▲【2019.7.21】北京に行ったときの写真
いかがだったでしょうか。
夢を持つことの素晴らしさだけではなく、苦しさや心の中の葛藤のすべてを語ってくれた星那さん。
どんなに険しい道のりでも、「心の赴く先に」いつでも夢や希望があると感じさせてくれるインタビューとなりました。
星那さんの夢を追い続ける姿が、みなさんの夢にむかって一歩踏み出す勇気に繋がりますように。
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